1944年(昭和19年)11月22日に手賀沼で18名もの教職員が一度に亡くなるという痛ましい事件がありました。 昨年の3.11東日本大震災では教職員も多数亡くなりましたが、その昔この東葛地区でこのような事故があったことを知る先生は少なく、命日を前にこのようなページを設けました。 時代は戦争末期で、女性だけで学校を支えなければ成り立たない時期でした。その学校を支える女性教員方の研修の日にこの事故が起こりました。 簡単に説明すると、午前中は現在の我孫子市立湖北小で研修を行い、午後に手賀沼を挟んだ対岸にある柏市立手賀東小学校に移る際に船で手賀沼を渡っている際に風に煽られて船が転覆し18名の命が失われたのです。学ぶ意欲を持った先生方の悔やみきれない想いは70年近くたった今もこの碑の裏面に深く刻まれています。 遭難者は校長、教頭を除くとほぼ20歳前後の女性が多く、子ども達に向けた熱い情熱をもった若い命が今も手賀沼に眠っています。この手賀沼殉難教育者の碑は湖北駅から15分ほど歩いた雑木林の一角に手賀沼を望む方向に向けられ、ひっそりと立っています。ぜひ、お近くを通られる機会がありましたら、ご覧ください。
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