だるま親爺のブログ○

高尾のだるま親爺が、勝手気ままに書き込みます。
いい年になりましたので、まずは経験からくるぼやきを・・・

だるま親爺の履歴書 資格編

2024年07月11日 | ストーリー

だるま親爺はいくつかの資格を持っています。

まず初めに、高校を卒業して大学受験に失敗(国語・英語力がなかったもので・・。)しただるま親爺は経理の学校へ2年通いました。将来自分で商売をしたいと思っておりましたので。

資格は日商簿記2級を取得、1級は怠けて失格以後放置。

この頃、アルバイトをしていたファミレスの調理経験から大阪あべのの調理師学校で調理師免許を取得。

大型客船のコックにあこがれていましたな。

しかしながら進路指導の先生に船のコックは火の取り扱いが限定されていて、料理の勉強にはならないと言われました。

しばらく資格とは縁もなくなっていましたが・・。

消費者金融時代に、不動産担保ローンを担当することがあり、宅建の資格に興味を持ちました。

30歳のころ大した勉強もせず惨敗です。

40歳の頃将来のことも不安だったものですからファイナンシャルプランナー2級を受験やはり惨敗。

これはいかん大学も出ていないだるま親爺は資格くらい持っておかないといかんと思い猛勉強。

一念発起して、参考書、問題集を買いあさります。

家計簿作成からの人生設計、税金のことから貯蓄、保険、住宅ローンのことなどなど幅広く勉強します。

資格取得にもなりますが、自分自身の人生設計に役立ちます。

晴れて2級合格後は日本AFP協会のAFP資格も取得しますが、こちらは勉強を継続しなければいけません。

セミナーの参加、定期冊子の購入とその問題集を解いて協会へ提出などめんどくさがり屋の私は5年くらいで資格放棄しました。

資格取得に勢いがついたもので、どうせやるなら・・と宅地建物取引主任者(今は宅地建物取引士)に再チャレンジと行政書士にもチャレンジ。

民法の問題は勉強をする時に重なり相互理解してより効率的に勉強できると思いました。

偶数月は宅建、奇数月は行政書士の勉強をしました。

猛勉強半年で、みごと宅建に合格。行政書士は駄目でしたな(記述問題があり国語力がやはり原因)。

しかし、行政書士の勉強をすることで一つ上の民法の問題を解いていたので、宅建が今回は一発で合格することになりました。

やればできる、人生七転び八起きじゃあ。

こうして私の人生を資格がサポートしてくれたのです。

今チャレンジしているのは、心理カウンセリング。まったく新しい分野です。

これからの人生では人のお役にたてることを・・・・と考えているだるま親爺はこの勉強を生かそうと考えています。


だるま親爺の履歴書 仕事編Ⅱ

2024年07月05日 | ストーリー

だるま親爺は26歳で結婚をしましたな。

結婚を機にかねてよりの夢お店を持つことにしました。

世間一般ではバブル絶頂の時期、怖いもの知らずでした。

調理師免許はあるものの厨房での修行からマネジメントの経験に変更しただるま親爺。

お店は、珈琲専門店からのいろいろな展開を・・・考えていました。

珈琲専門店は何よりもお店の雰囲気づくりと接客姿勢と考えておりましたので、

看板となる家具として英国アンティークのミラーバックサイドボードを備え付け。

床は濃いブラウン系のフローリング。テーブルや椅子も木製の同系色のものを。

縁あって珈琲カップは山形の平清水焼 七右衛門窯を使用。

参考: 七右エ門窯 | 山形 平清水焼の窯元

BGMは懐かしいポピュラー音楽を流しました。

和・洋取り交ぜた落ち着ける空間です。

すぐに常連さんも増えて自分らしい自分のお店をもって良かったなと実感。

お店も初月からの売上はまあまあで、計画通りのつもりでした。

ところが、バブル絶頂期が突然の崩壊。

今でも何が何だかわからずに夢の珈琲専門店は1年で経営破綻となりましたな。

破綻の原因は金利です。

銀行の借入金利は当初年4%これが一年後には3倍の年12%です。

1500万の借入で年間の利息払いが180万円

月の売上が40万円くらいで約4.5か月分利息のために働くことになっていました。

経営は一年間様子を見ながら次のステップを踏むという算段でおりましただるま親爺は大誤算。

このままお店をやっていたら破産しなければいけなくなる状況です。

いや、実際生きていくのもしんどくなりましたな。

夢破れてお店を畳むことになりましたな。

バブル期に大笑いした人も多かったでしょうけど、バブル崩壊後の大泣きした人はさらに多かったと思います。

こんな時期、何もしないでいられたら平和な人生だったかもしれません。

この後には金利で大きく稼ぐこともできたでしょうから。

ま、後悔はしていませんよ。

だるま親爺は、「七転び八起き」をモットーにしていますのでな。


朝採りきゅうりの朝食

2024年07月01日 | 日記
今日、三本目のきゅうりを収穫。
1日遅れたらただの瓜になりそうなくらい大きくなりました。
まるのままかぶりついてから、マヨネーズにつけていただきました。




自分でいうのもなんですが、新鮮で味のあるきゅうりです。
ご馳走様でした。

だるま親爺の履歴書 仕事編

2024年06月30日 | ストーリー

だるま親爺はどうも一つ所に定まらずいろんな仕事をしてきましたな。

初めての仕事はアルバイトでファミレスの調理担当です。

アルバイト時代には住み込みでスキー場でのフロント兼お部屋のお掃除、お風呂のお掃除、たくさんの雑用もこなしました。

ファミレス経験から、料理の面白さを知り調理師学校を経てステーキ屋さんに就職です。

ところが、すぐに調理場には入れないのが有名なレストランなどの常でしてフロアーでのウェイター経験からのスタートです。

将来、店を持って独立が夢だった私にこの会社の偉い方たちから、もっと接客やマネージメントを勉強した方がよいと勧められウェイターとして更にお仕事をすることになりました(コックの道が・・・)。

接客の面白さを知った私はウェイター修行のため都内のホテルに配属できる配膳事務所(ウエイターの派遣会社)からホテルで働くようになりました。

派遣の主なお仕事は、結婚式場でのお料理お飲み物のサービスです。

この当時のだるま親爺は若くはつらつとしていたものですから、すぐに料理担当から宴会場の責任担当者となりました。

主に結婚式披露宴会場のキャプテンと呼ばれるお仕事です。新郎新婦の入場、退場から宴会の進行、お料理のサービスのタイミングなどを含めた調理場との連携、お飲み物の追加などお客様との打ち合わせなども行います。

披露宴のお時間は約2~3時間忙しい日は一日に3回も披露宴を担当します。朝早くから夜は10時ころまで、宴会と宴会の間には「どんでん」と呼ばれる会場のレイアウト変更から和食なら料理のセット、洋食ならお皿ナイフフォークのセッティングと休む間もなく働きます。

今では考えられないくらいハードです。

でも毎日が充実して楽しかったな。

今日はこれまで、七転び八起きだるま親爺の履歴書は続く。

 

 


ほねのあるうどん屋さんみっけ

2024年06月28日 | グルメ
神奈川県相模原市の「肉うどんの南哲」さんです。
ひや肉うどんの麺ひや汁アツ400g



麺に骨があるかと思うくらいこしがあります。
味濃いめの汁には卓上にあるポットの割下出汁で調整。
肉の量も満足ながら長ネギがまたうまい。
またおじゃまします。

肉うどんの南哲さんはこちらから


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