前回は、お店をたたんだところまででしたな。
お金の大切さ身に染みてかんじました。
そこで当時のお仕事で最も稼げるものは何か。銀行に大きな借金をのこしましたので・・。
消費者金融というお仕事です。
その中でも、支店が神田、日本橋、新橋の3店舗と飲食店(うどんすきのお店)も経営している会社に入社しました。
外食産業の経験、飲食店の経営スキルが役に立つかもしれないと飛び込みました。(一切関係ありませんでしたが・・。)
お仕事の内容は、一般消費者の個人に対する営業、貸付、回収などです。サラ金ですな。
対面の接客による貸付から、電話申込による貸付などなど。
回収では電話の督促、郵便による督促、訪問による督促などです。
某漫画の「ナニワ金融道」のおしごとです。
この会社は当時の大手消費者金融会社からは比べ物にならないくらい小さな会社です。
貸付残高で3億くらい・・。
神田支店に入社してみると社員は10名くらい、いかにも金融屋、金貸しブローカーなる輩が跋扈していました。
初日から電話督促を何十件もやらされ、先輩に注意されての「この野郎金返せ~。」と大声をあげていました。
見よう見まねで仕事は盗むもの(コック修行時代も同じ)と思い、いつの間にか溶け込んでいましたな。
お金の大切さを身に染みて感じるようになりました。
この会社の入社時の貸付残高は4億くらい、そのうち3億は不動産貸付でしたが「レディースローン」という他社があまりやりたがらないところで大きく成長、3年後にはあっという間に40億の貸付残高です。
この頃には成長した会社になるにつけ、不良社員が行っていた不正、不動産ローンのオーバー貸付、担保価値もないのに何千万も貸付をしてお客さんから見返りに法外な手数料として個人の懐に入れるなどが明るみになり、みんな逃げてしまいました。逃げるときは会社の金庫の中身も無くなっていましたな。
彼ら金融ブローカーはその後どんな人生があったのか、推して知るべしです。
そうして会社もクリーンになり、私も2年後には店長に10年後には部長に昇格、貸付残高は100億を超える会社に成長です。
が、いいことばかりはつづきませんな。
消費者金融の過払い問題は、法廷での争いで過払い認定をされるようになります。
消費者金融の貸付金利はこの頃年利29.27% 古くは年利54.75%です。貸金業法という法律で業者登録されていれば許されていたのです。
それに対し法律に基づく一般貸し借りの金利は約18%でした。
サラ金問題が顕在化した当時、無法の個人貸付を取り締まる議員立法による時限的な法律による金利です。
10万円借りたら年間約3万円近くの利息を払わなければならなかったのです。
闇金もご存じかと思いますが、法律は関係なく十一と言われる10日で1割の金利などもあります。
世の中の闇は今も健在です。
過払い問題が最高裁判決により、業者が多くとりすぎた金利を消費者からの訴えによりお返ししなければならなくなりました。
それからというものの街中にあった消費者金融の看板が消え、業者はほとんど壊滅しました。
私もまた七転び八起の人生を歩むことに・・。
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