DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

DISKREVIEW: Jean-Michel Jarre / Equinoxe Infinity

 Sequel(後編)とある通り、1976年の初期化の作品「軌跡Equinoxe」の進化系。日本はYMO、富田勲、喜多郎など多くの世界的シンセサイザー奏者、ユニットを輩出しているので、その影に隠れてあまり知られていないが、映画「アラビアのロレンス」のスコアで知られるMaurice Jarreの息子、と言う方がビンと来る人は少なくないだろう。あるいは、1998年には小室哲哉との協作「TOGETHER NOW」で彼の名を覚えている人がいるかも。とにかく、彼もまた、シンセサイザー音楽のパイオニアとしてすでに大きな名声を得ており、なおかつこうして齢70にしてなお新譜を発表するなど、活発な創作活動を行っている。
 デビュー当時の音楽シーンは、まだロックが発展段階で、刺激的な新しい音楽が次々と生まれていて、その意味ではジャールの音楽は比較的地味だったのかもしれない。「ニューエイジ」にカテゴライズされるのはそういう時代背景があるが、私にはどう考えてもGeorge Winston らの音楽と同系列とは思えない。
 それだったらむしろMike OldfieldやManuel Goetthing のようなプログレッシブロックにカテゴライズされるべきだったと思う。シンセサイザーの、たった一人でオーケストラ並みの多様な音色を操ると言う試み。
 ただ、彼の音楽を聴いて、単にテクノロジーによって新しい音楽が生まれた、と言う単純なものではないことは明らかだ。この時代の前衛音楽家たちは人間の感情を描くより、地球を、宇宙を描こうとしていた。富田勲のドビュッシーの「月の光」などを見ても明らか。東西冷戦で宇宙開発=アポロ計画人類が月着陸した頃の話だから当然である。ジャールもそれにもれなく「幻想惑星Oxygene」などの大自然や宇宙をテーマにした作品を作っていた。
 結局、テーマ自体がロックやポップスよりはるかにスケールが大きかった訳で、既成の音楽フォーマットからの脱出に苦しんでいたロックよりはるかに面白かった。
 現在のジャールはその頃の焼き直しをしているだけかもしれない。しかしアナログシンセとデジタルシンセの融合によって、サウンドオーケストレーションはより厚みを増している。少なくともジャールサウンドは現在も唯一無二で、セルフコピーであったとしても、新作は十分に時代に刺激を与えるものである。
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