「 私(maitri)が詫びれば、それで良い。」
幸福の○○はそう考えて何かしら画策し
やっていることでしょうが、
それは教祖の意にかなっていることでしょう。
しかし、神仏の意にかなっていることでしょうか。
神仏から見て明らかに間違っています。
彼らは私が詫びたら法は自分たちのものになる、
そう考えています。
明らかに間違いです。
この未来にかけて残るのは私の法を取り
編纂した自分たちだ、これも間違いです。
人間心でしたらそうようにもみえますが、
神がそれを許しません。
これが間違いと思えないなら、
既に神仏の意思から遠く離れています。
他の人がそう思っているから
だからそれでよい、それも間違っています。
これはいじめの構造です。
間違った心で行動すれば、それは悪ですし、
正法を邪魔すれば、悪魔です。
それに習って行動している人たちも
同罪です。
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