2012年(平成24)12月14日(金)午前10時55分 川鶴クリニックにおいて、呼吸不全・肝硬変のため父親嶋村芳三が行年86歳にてこの世を去った。大正15年5月8日、この世に生を受けて以来、19歳で亡き母と職場で出会い、結婚し長男である私をもうけた。人は生を受けてから、実社会で多くの出会いや経験をし、人とかかわることで想い出を残していく。子として見ていた部分では、悩みもあったようだが、良い人生を送れていたと思う。晩年は好きな酒におぼれ、認知症と老化が泥酔から肝硬変を患い、入院。以後、私の努力で体調はそこそこ回復し、特別養護老人ホームで完全介護で暮らしていた。自信の年金の範囲内でもあり、子供への金銭面の負担はなく、習字クラブ、カラオケクラブ、施設の旅行やゲーム、イベントなど施設での暮らしを楽しんでいた。たまに、車や散歩に私も一緒に連れ出したりと頻繁に施設を訪問。ただ、最後の頃には私のことが分からなくなり、死の数日前頃には自力では歩行困難と食事摂取不能から、医師の判断で入院ということになった。
あまりに急な衰弱でも、施設の相談員もまだすぐ、どうなるということではないとの判断を聞かされていた。病院搬送の知らせで急に容態が急変、至急来て欲しいとのことで、慌てて車で向かった。
到着したが、看取ることもできずになくなっていた。院長からの報告では呼吸がなくなり、心臓マッサージを30分していたが、離すと鼓動が停止するということで死に到ったと報告を受けた。
病室で一人横にななる父に添い、後の手配をした。
過去を振り返るのは、今写真を整理している、これからところからである。
葬儀は次の日程で執り行います。
場所: 川越 やすらぎの里
日程: 通夜 12/20(木) 午後6時
告別式 12/21(金) 正午より
*お出かけ頂ければ幸いです。
あまりに急な衰弱でも、施設の相談員もまだすぐ、どうなるということではないとの判断を聞かされていた。病院搬送の知らせで急に容態が急変、至急来て欲しいとのことで、慌てて車で向かった。
到着したが、看取ることもできずになくなっていた。院長からの報告では呼吸がなくなり、心臓マッサージを30分していたが、離すと鼓動が停止するということで死に到ったと報告を受けた。
病室で一人横にななる父に添い、後の手配をした。
過去を振り返るのは、今写真を整理している、これからところからである。
葬儀は次の日程で執り行います。
場所: 川越 やすらぎの里
日程: 通夜 12/20(木) 午後6時
告別式 12/21(金) 正午より
*お出かけ頂ければ幸いです。