こうもり傘

人並みの背にもかかわらず、わたしはいつも日和下駄を履き蝙蝠傘をもって歩く....

未来を生きる君たちへ―感想―

2012-01-01 22:53:09 | 映画

 人から悪意ある行為を受けたとき、人間の反応は二つに大別できる。「赦し」か「復讐」だ。

 復讐は目には目を……などと言う言葉を持ち出すまでもなく、ごく自然な反応と言って差し支えないだろう。悪意ある行為を受けたことによる不快感、屈辱感をはらすための最も容易な手段だ。しかし忘れてはならないのは「復讐は連鎖する」という事実。世界を見渡せば、中東問題やアイルランド紛争など、相手から受けた悪意をはらすべくお互いが復讐を繰り返すことでさらに相手への憎悪が増幅するという悪夢のような事実は枚挙に暇がない。

 それでは「赦し」を持って悪意に臨めば万事解決となるか。そんなことはない。相手を赦したとてそれが悪意の連鎖を食い止めることにつながる保証はどこにもないからだ。

 果たして悪意の連鎖を止めるすべなどあるのだろうか?本作はアフリカとデンマークでアントンが直面する絶望的な悪意の連鎖を描き出すことで、そんな疑問を観客に提示する。アフリカでは幾人もの妊婦の腹を切り裂いて殺してきた悪人「ビックマン」が感染症でその右足を失おうとしている。デンマークでは母親を亡くしたショックから他人から受けた暴力に対してそれを上回る過激な暴力で応報しようとするクリスチャンがいた。

 アントンは眼前の悪人や悪意ある行動を赦し続けることで悪意の連鎖を断ち切ろうとする。ビックマンには治療を施し、クリスチャンには復讐の虚しさを身を持って教えんとした。しかし悪意の連鎖は容易には止まらない。ビックマンはキャンプ地で死んだ幼い女の子を嘲笑う。その時遂にアントンはこれ迄の態度を放棄し、ビックマンを死に追いやってしまう。悪人の悪行に対する復讐は、赦し続ける態度を貫いてきたアントンに深い後悔を与える。

 デンマークではクリスチャンが街で権勢を振るっていた男への復讐として男の車に爆弾を仕掛けようとしていた。エリアスは重傷を負い生死をさまようが、それでもアントンは彼を許し続けた。結果としてクリスチャンはこれ迄の態度を悔い改め、悪意の連鎖には終止符が打たれることとなる。

 本作が訴えているのは、「赦す」ことが悪意の連鎖を断ち切るためには書かせないというありきたりなテーゼにとどまらない。たとえその赦しが裏切られようとも、相手が復讐の連鎖を断ち切るまで寛容な心をもちつづけてこそ赦しは意味を持つということを本作は教えてくれる。憎悪と復讐が渦巻く現代社会を考える上では必見の作品と言えるだろう。