今あらためて考えてみると、私は家族を含めて、ある集団に所属したい、していないと安心できない日本の社会に強い違和感を感じていて、「絆」という言葉の氾濫に危惧の念を抱いていたということに気づきました。
絆の本来の意味は「縛り付ける」だったと書きましたが、日本人というのは、ある集団に縛り付けられることをとても強くのぞんでいる。縛られていないと安心できないのです。「もっと自由でありたい」「なにものにも縛られたくない」と願うのではなく、「縛られたい」のです。
自らの自由を放棄する、と言っているようなものです。こんなに危険なことはないと、私は思います。縛ってほしい、規制してほしい、ルールを決めてほしい、と願っている国民ほど管理しやすいものはありません。「絆」なんて言葉ばかり使っていると、ろくなことはない。
元、NHKアナウンサーだからこそなのか、この日本では、なかなかこんな事を
はっきり言える人はいないだけに、潔よいです。
私も、どちらかと言うと、この考えに近い。
そして、コメント欄では、かなり批判されています、当然でしょうね。
本来、絆という言葉は、ここぞという時に使う言葉だと思います。
それを、何か、責任を他人に分散させたいと思う人にとって、
都合よく使われて、乱発しているように思います。
この言葉を使う場合は、本当に困っている人で、
本人がそれを望んでいる場合に使う言葉ではないでしょうか。
人見知りタイプの人間からすれば、それを言いながら近づいてこられると、
何かの宗教の勧誘みたいで、ちょっと怖いです。
全体主義がデフォルトの日本では、絆さえ言っとけば、
右手を斜め上に挙げるのと変わらないと、私は思ってしまいます。
それだけに、いつでも、どこでも、誰とでも言う言葉ではない。
それこそ、UFOからタコ型の宇宙人が降りてきて、絆だけを喋り、
近づいて来られても握手できるかです。
吸盤の付いた触手ですから、握手かどうかさえ分かりませんが。
ましてや、ハグしてくれと言われたらどうしましょう ?
絆は、困っている人が、助けてくれた人に対して、
心の中で思い、感謝の言葉が出てきた時こそ、
絆という言葉に価値が出るような気がします。
それだけに、これを乱発する人は、なんか胡散臭い。
あくまで、素直な良い子ではなく、捻じれまくった私の勝手な考えですが。
なんせ、小5の学芸会で大人に、王様だから、偉い主人公やと騙されて、
裸の王様を下着のまんま、正面の玉座に座ったっきり、
セリフばっかり言わされ、放置プレイされて、
トラウマになってしまった私ですから、許してください。
だからこそ、絆という言葉は、安易に使えば使うほど、
下手すれば疑われる可能性が有ります。
安易に使うと、責任の誤魔化しになりかねんから、
みんなが使うと、責任を分散させてしまい、責任感が薄くなって、
破綻まできてしまう。
今の日本が毎年80万人も人口が減っているのに、危機感が無く、
安易に移民に頼ろうとしているし、実際、その弊害が出だした。
その人達が、絆と言うだけで、全てが許されるのか。
だから私は以前から、人間ではなく、AIとロボットにした方が、
絆なんて言葉を使わないし、いつでも首を切れる機械だから、
遥かに合理的になるから、毎年80万人も減る人間の代わりに、
じゃんじゃん導入すべきなんですが、
自分より優秀と分かっているから怖いのでしょう。
しかし、中国国内では、既にガンガン使われだして、
ただでさえ、人余りになっているのに、それが加速している。
このまま行けば、中国から、AIとロボットと人間まで、
怒涛の如く日本に入って来て、絆という言葉を乱発するかもしれない。
今の日本の政治家では、それをやりかねません。
タコ型宇宙人なら分かりやすいですが、人間も機械も中国製なら、
分かりにくい。
それの危機感を煽る為に、不幸という言葉を使ったのでしょう。
自助、共助、公助を日本政府は災害の時に言っています。
公助が最後という事は、おまえらで、どないかしろ ! なんだから、
楽でいいですね。
もうこうなったら、役所でも会社でも、どこでも絆を連呼しましょう。
貧乏人にとっての、黄門様の印籠であって、錦の御旗ですので、
向かう所敵なしです。
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