見出し画像

楽しくいきましょう、神戸 大阪

わかるかなーソニートリニトロンテレビ

テレビの事を書いたら、無限に書けそうです。

取り敢えず、前回の東京オリンピックぐらいからにしましょう。

白黒の20インチぐらいから始まり、ブラウン管でした。

前に丸く飛び出していて、真ん中辺しかしっかり映らないものでした。

昔の人は人が映っていたら、真剣に人が中に入っていると思っていました。

本来、貞子が正しいのです。

テレビは値段が高くて、限られた家にしかなかったので、

人気の番組が流れると、近所から、いっぱい見に来ていました。

特撮ヒーロー物や、チャンバラ劇、お涙頂戴ドラマなどが有り、

相撲も人気が有り、年寄りがよく見ていました。

爺ちゃんの家に行くと、夕方は必ず相撲を見ていて、

子供の私は大嫌いでした。

何故かというと、今の相撲と違って、ハッケヨイをするまでが長かった。

昔は、力士同士の気が満ちるまで、何べんでも仕切りをします。

それで、やっと始まったら一瞬で終わる。

なにが面白いのか全く分かりませんでした。

まー、子供には無理ですね。

それよりプロレスが大人気でした、

力道山「りきどうさん」、豊登「とよのぼり」、が全盛期でした。

憎っくき外人レスラー達を空手チョップで、バッタバッタと、なぎ倒します。

豊登は、両腕を振って、脇に当てて、パコンパコン鳴らしてました。

子供はみんな真似をしていましたが、なかなか鳴らなかったです。

街頭テレビでも映していて、町の中で誰もがプロレスを見ては、

日頃のうっ憤を晴らして、

安酒を飲んでは、俺やったら、もっと簡単に勝てるとか、

あの技を掛けるとか、バカな大人共は言っていました。

柔道も、そこら中に町道場が有り、

大手企業では必ず柔道部が有った時代です。

その柔道が、初めてテレビで、一般人が見る事ができた東京オリンピックで、

外人選手のヘーシンクに負けた時は、国民には、

また、白人に戦争で負けた感じだったんではないでしょうか。

今に思えば、あそこで日本人が負けたから、

柔道が、世界的なスポーツになれたと思います。

勝ってしまっていたら、柔道の普及が、もっと遅れていたでしょう。

下手したら、オリンピック競技にもなっていなかったかもしれません。

対戦した神永昭夫さんは、誰もが必ず勝つ、日本人が負ける訳がないという

想像できないぐらいのプレッシャーの中で、

負けてしまったので、日本人全部の落胆を子供ながらに感じました。

しかし、よく自殺しなかったなと思います。

後、オリンピックと共に、初の衛星中継で、

ケネディー暗殺の映像が、生々しく映し出されました。

あの映像はショックでした、今でも映像が目に浮かびます。

その後でしたか、カラーテレビが出てきました。

これまたショックで、プロレスの流血試合では、

それを見ていた、おばあちゃんが卒倒して死んでしまったほどです。

まだまだエピソードは尽きませんので、今回は、このぐらいにしといたるわ。



ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事