ヤギの歓びを運ぶ。
運ぶ、というのはなんだって大変な苦難を伴うものだ。
運ぶために生きていると言っても大げさではななかろう。
自分の体を運び、荷物を運び、どこにでも運ぶ。車はもちろん飛行機や船や人足が運ぶ。
運ぶ苦難をひとっ飛びにするファンタジーは人気がある。
どこでもドアやスモールライトなども運ぶ苦難なしの便利グッズだし。
運ぶ。何かを移動させる。そのためにみんな生きているのに、どこでもドアなんかあっちゃならない。
丹念に時間をつむぐのが人生なのに、タイムマシーンはあってはならない。いいかげんに生きているやつらには、なおさらタイムマシーンなんてダメダメダメダメ。
運ぶ。それに伴う時間や苦難こそ不可逆であり取り戻せない。取り戻せない物事は尊い。たとえヤギの草ていどのモノでも運ぶのは尊いことなんだぜ。
運ばれてきたプレゼント。
運ばれてきたプレゼント。
口の中でパチパチした。
なにこれ!こんなチョコあんのいま。
物事の進み具合も、運び、という。
事がうまく運ぶ、など使う。
運んでいることは止まったとしても戻らないんだ。
思えば人生のほとんどを運ぶために費やしてきた。
人間は運ぶためのことだけしてると思えてきた。
自分の体や物を運ばないで済むことなんてない。
トップ産業が自動車ってところもそれを証している。
農産物も魚介類も運ばなきゃならない。
運ぶってのは尊いことで、なぜなら人が生きる理由と証だからなのね。
運び屋。
クリント・イーストウッドだ。
ヤクを運ぶ園芸家の映画。
これも名作になるけど、墓場に持っていくにはやや物足りない。
相変わらずちゃんと撮影された映画だ。クリント・イーストウッドはいちいちちゃんと撮影している。
シネマらしい色、画角、セリフ。
スリル、善悪、偽善、本音。
無駄に死なない映画を作るが昔はダーティハリー。
クリント・イーストウッドがつくっているだけで、みんな期待色の色眼鏡で観ることができる。そんな人他にいるか?
仮にロバートデニーロが監督したとしてもたぶんそれには期待しないだろうな。
監督といえば、お母さんがラウの畑を監督してる。
これはお母さんの寄せ植え。
畑に残した白菜や水菜。
芋植えるから畝っちゃうぞと言ったら、急いで集めて寄せ植えてた。
菜の花が食べたくて大切にしていたとのこと。
かわいいお母さん。
人から見れば、変なおばあさん。
この親にしてこの子あり
じゃねえし。
トンビが鷹を産んだって感じかな。