雑木囃子

掃除から始まり掃除でしめくくるはずが

気づけば今日が山ステイ期間の最終日。
という書き出しはまあよく見るが、気づがなかったわけ無いよな。
なにふと気づいちゃってんの、って、意地悪な俺に気づかれてるぜ。

昨夜は無人の焚火。
みんな教室に居たから。

イカしたレトロシステムの剛健剛健ポットの実力はわからない。

コーヒー淹れるとすぐなくなるから、保温力を試す機会がない。

新年は掃除からだ。
裸足だ。

雑巾がけ大会が催されている。
私は別のことを催していたので遅れて見学だ。
出場は免れた。

もはや目的は見失われ、雑巾は手の置き場でしかないようだ。
掃除はとても大切な所作だ。
場というのは、エリアの意味ではなく、修練したり心を満たしたりするためにある。
その心がけが染み付いている日本人だから、サッカーで外国での負け試合でも日本人観客はスタンドの掃除をする。
日常の街角ではそんなことしない人たちのはずけど、スタンドの掃除はする。なぜならビコーズ、街角は場とは思わないが、スタジアムは仲間や選手とこころを寄せた場だからだ。

場にこめられたものを感じ取れるのがこの国の民である。
学校の掃除を業者に委ねたなら、学校は心を寄せる場という大切な役割を手離したことになりやしないか。
ま、業者に委ねてそのかわり学費を上げれば良い。学費もフカして上げられるから学校も儲かるし、生徒はゴミをそこらに放れる、業者に仕事が回るから良い。と「場」をプレイスとしか思えない欧米に追随する選択はとっても楽ちんだ。

じゃ
これ

こないださぁ、自撮りがサービスになっているかどうか聞いたじゃない?
でもさぁ、誰もなんにも言ってくれないの。
痛々しくて何を言っていいかわからないんだと思うんだ。

自分を気の毒に思うほどマヌケではないが、そんな時に一言、サービスありがとうございます!とか言ったなら、そんなあなたをとても大切にしてやるのに、そこまでは読めないようだな。

ふふ。
もったいないことしたね。


あー。なんでこうやっていやみなことしか言えないんだろ。
もっとこう、デスマスはいはいステキですねめっちゃシェアしましょみたいにしてたら人生違ったのかな。

知らない人が読んでも
知ってる人が読んでも
まああれだよな。
それでもご一緒くださる変わった方々と生きてゆけるから、イヤミの壁を乗り越えてご一緒しましょう。

あけましてありがとうございます。

ところで、私はバカの壁は好きになれない。
面白くないもんだから数ページで読めなくなった。
イヤミの壁を建てつつ、バカの壁を越えられない、バカとイヤミに挟まれた格好である。






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