こう見えて暇すぎて何かやり始めると忙しくなってしまったからブログおまたせ。
待ってなくてもかまいやしない。
エンジンのない薪割り機。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/c4/65832641a1223a9ffe9633f2d697e05f.jpg?1736496423)
とうとうエンジンが壊れたみたいで、ダメダメかと思って2度と組み立てないつもりでバラバラにしたら、だめな理由が見当たらなくてはてさて。
こうなったら新しいエンジンを手に入れることにした。
中古当然が農機具エンジンだが、人気のあるエンジンの場合はだったら新品買うわな値段だから、新品にすることにした。
人気のエンジンだから、コピーエンジンというのが出回るそれを使っていた。しかもまあまあ良くできていて壊れたエンジンも相当使ったから元は取ってる感じです。
出費はかさむが安心して正規の部品で直して使える。大きな薪割り機は中古の完成品を直しながら使うのが良いと思う。枠組みがしっかりしてるからいろんな補修ができる。百年は大げさだが、とても長く使える。
エンジン壊れたから大吉だよ。この故障で小難を以て大難を避けてくれた。と思うことにすれば故障にも感謝できる。できるはず。
しかし、エンジン不調の原因が追いきれなかったな。エンジンの不調と将来の夢は追いきれないものなんだよ。
将来も未来も似たような感じだけど、将来というと人格のあるもののたどり着くところ、未来というともっと巨視的な雰囲気がある。
将来性という言葉がある。若者や会社や芽生えたものが少し先に起こるすてきな可能性のよう。
未来は期待を持って方向性や特性を持たせたものかもしれない。
だから未来的などと使われる。未来性とはあまり言わない。
将来も未来も期待無しではつまらない。
自分に将来があると思えるなら、それは素敵なことだ。
未来を明るくするためには、個別の将来はもちろん、みんなで明るく進むこともやらねばならない。
つまりだな
将来は個々誰にでもある。
未来は個々の将来とは別に、みんなで歩んだ先々に待っている。
自分の将来もみんなの未来も同時にやらなきゃ満たされた気持ちにはなれないのではないかな。
だから、自分のことばかり考えてるとショボいと思われるし、人のことばかり考えていると自分を犠牲にするあるいはあまりに献身的すぎることになる。
俺はそうだな
将来は今来てるからまあこんな感じでたのしい将来になった。
つまらないこともあるけども、それはたのしさにくらべたら大したことはない。
未来といえば、都市伝説では2025年7月があぶないらしい。
予言をマスメディアで受け取ったノストラダムス大予言の頃とは違い、今は細かいメディアで半ばコピー情報コタツ記事みたいな雰囲気もあるけど、いろんなところで盛り上がってる。
こういう情報は受け取るだけが良い。
あれ?あごめん!
世界に発信してるブログでたれながしちゃった。
あーごめん。