2017.12.14 銀座
ツイッターで閉店のニュースが流れてきた時、なんとも言えない気持ちになった。
ずっとあり続けると思っていたのに、不意打ちだった。
二十歳から銀座で働き始めて、他の店舗に異動するまでの約10年、ずっと身近にあった喫茶店でした。
全てが不慣れな中で、お昼休みは必ず先輩と一緒の行動で、当たり前のようにご飯後にお茶に行く毎日、このどんパがあった通りのみもざ館か琥珀亭かどんパへ行くのが決まりでした。
二十代はまだ珈琲が苦手だったので、必ず紅茶を頼んでいたけれど、視界に映る大きなガラスのフラスコみたいなものが不思議だった。
少しずつ水がポタポタと落ちて、これが水珈琲なんだろうなぁと漠然と見ていた。
ニッキも苦手で、特徴あるものに少しも馴染んではいなかったけれど、黒い椅子とテーブル、切り込みがあったコースター、どれもが思い出深い。
シンプルな統一感がある店内。
いつもきれいだった。
煙草が吸えるから、新聞を広げるおじさんがいつもたくさん。
仕事後に行く事もあったけれど、いつも明るい店内が好きだった。
実のところは私はみもざ館派だったので、朝昼晩とそっちで過ごした時間の方が多かったけれども、ここがあった事で二十代の頃の事が蘇ってきて、なんとも言えない感情と共に過ごした重みに浸る事ができた気がする。
結局、閉店前に一回しか行けなかった。
行かない間にお値段もそれなりに銀座値段になっていたので通えなかった。
でも、頭の中できっとあり続けると思う。
残るは仏蘭西屋だ。
いつまでも在りますように。
ツイッターで閉店のニュースが流れてきた時、なんとも言えない気持ちになった。
ずっとあり続けると思っていたのに、不意打ちだった。
二十歳から銀座で働き始めて、他の店舗に異動するまでの約10年、ずっと身近にあった喫茶店でした。
全てが不慣れな中で、お昼休みは必ず先輩と一緒の行動で、当たり前のようにご飯後にお茶に行く毎日、このどんパがあった通りのみもざ館か琥珀亭かどんパへ行くのが決まりでした。
二十代はまだ珈琲が苦手だったので、必ず紅茶を頼んでいたけれど、視界に映る大きなガラスのフラスコみたいなものが不思議だった。
少しずつ水がポタポタと落ちて、これが水珈琲なんだろうなぁと漠然と見ていた。
ニッキも苦手で、特徴あるものに少しも馴染んではいなかったけれど、黒い椅子とテーブル、切り込みがあったコースター、どれもが思い出深い。
シンプルな統一感がある店内。
いつもきれいだった。
煙草が吸えるから、新聞を広げるおじさんがいつもたくさん。
仕事後に行く事もあったけれど、いつも明るい店内が好きだった。
実のところは私はみもざ館派だったので、朝昼晩とそっちで過ごした時間の方が多かったけれども、ここがあった事で二十代の頃の事が蘇ってきて、なんとも言えない感情と共に過ごした重みに浸る事ができた気がする。
結局、閉店前に一回しか行けなかった。
行かない間にお値段もそれなりに銀座値段になっていたので通えなかった。
でも、頭の中できっとあり続けると思う。
残るは仏蘭西屋だ。
いつまでも在りますように。





