毎年、夏になると
戦争をテーマとした映画、ドラマ、ドキュメンタリーが流される。
そのほとんどは、
悲しく、辛く、痛ましく、残酷な戦争の姿である。
それは事実であり、
次世代に語り継ぐことである。
しかし、
醜さ、卑劣さ、理不尽さを伝えるコンテンツは少ない。
戦争は悲劇である以前に犯罪である
爆撃という民間人への無差別攻撃を仕掛けたのは日本が最初であったこと。
国際条約で禁止されている細菌兵器や化学兵器を使用したのは日本であること。
沖縄戦では軍隊が民間人を盾にしたこと。
美談としても語られる特攻隊は、実は成果がなかったこと。
成果なしと報告できず成果を過大報告したために止められなくなったこと。
ソ連兵の攻撃を免れるため、
娘たちを差し出す村人。
罪もない子どもを含む中国人を”丸太”と称して
モルモットにように残虐な人体実験を数知れず行ったこと。
非道な人体実験を指示した帝国大学の教授たちは、
戦争終結後に国立大学の学長や厚生省の幹部にまで出世していく。
また、戦争を始めた責任、終わらせなかった責任は
わずか7人の軍人と政治家しか問われなかったこと。
そしてA級戦犯が堂々と首相になる。
軍人や民間人や海外の人々を不幸に陥れたA級戦犯たちは、
英霊として神社に祀られる。
陸軍と海軍は
互いの見栄のため劣勢である事実を明らかにできす、
誤った情報に基づきさらなる敗走を重ね、
戦場に残された軍人は補給がなく餓死させられる。
山本五十六長官は米国に勝たないことは論理的に理解していた。
でも、軍隊の長である立場上、その事実を主張できなかった。
国家よりも組織を優先する姿は、
悲劇ではなく喜劇としか思えない。
もっとも認識すべきことは
残酷な戦争は国民の熱狂の中で始まったということ。
ドイツでも日本でも戦争は大衆民主政治のもと始まったということ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます