映画館「シネリーブル」が入っている梅田スカイビル、
その地下には滝見小路というレトロな食堂街があって、
映画終わりにそこで何か食べようと考えながら自転車で向かっていたら、
途中にパン屋さんがあったので、夕ご飯代わりのパンをいくつか調達して行きました。
…滝見小路で何か食べて帰ろうという思いは、
パン屋さんの出現によって一瞬にして忘れ去られたという、
鶏なみの脳みそを持った自分に愕然としています。
そんな前置き。
スクリーンで観たことのなかった大好きな映画が、
デジタルリマスター版で劇場に帰ってくるってそら観にいくわ。
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「Smoke」
DVDはもちろん持ってますので、もう何回観たことか知らん。
ちょっと忘れた頃に観ようと思ってるのに忘れる前に観たりして、
映画のストーリーなんて観た尻から忘れるような鶏脳の私でも、
この映画のお話だけはバッチリ覚えています。
知ってるのに観て何が面白いん?とかそういうことちゃうねん。
特に新しい発見があるわけでもないんやけど、そこに回帰する感じホッとする。
しかもスクリーンで観られる幸せよ。
映画の冒頭部で語られる話、からの「Smoke」というタイトル。素敵やん。
人と人との繋がりなんて儚いもんで、どれだけ近くにいてもその全てを知ることは不可能。
それでも関わり交わっていくことこそが、人間の営みというものなのでしょうか。
まぁ私解釈でざっくり書いたらこんなんですわ。
オーギーの、10年以上前から毎日欠かさず続けていること、
毎日同じ時刻に、自分が働くタバコ屋前の写真を撮るという、
一見無駄にも思えるこの彼の「一生を懸けた仕事」がすごくええなぁと思う。
その中にある宝物を、ポールと共有できる場面も素敵やねん。
なんでもかんでも、良い悪いや、正解不正解で、物事を判断せーへん大らかさ。
そう言えば、糸井さんと料理家の土井さんの対談にもそういう大らかさがあったなぁ。
完璧を目指さないところにある素晴らしさおもしろさ。なんかええなぁ。
なんとなくこの1ヶ月ほど閉塞感を感じて息苦しかったんやけど、
それは柔軟さや大らかさが欠如した状態やからで、そんな時に観るSmokeは沁みる。
ほんでもって劇中でみんな美味しそうに煙草をふかすねんなぁ。
私は煙草をやめたことで、呪縛から逃れられた解放感を得て良かったと思ってるけど、
煙草を吸う至福の時間てのも確かにあったので、あの感覚は懐かしくもあり、
ちょっと羨ましくもある。(でも副流煙はノーサンキュー)
Smokeやっぱり好きな映画でした。また忘れた頃に観ようっと。
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