2011年を語る上で『E-Project』の事を語らないわけにはいきません。
ここで少々…2011年前半の事を振り返りたいと思います。
Bass,Eiichiro…Vocal,noricoで活動をしていた『E-Project』。
今年の最初のステージはnoricoさんのインフルエンザで出演不可能という事態に見舞われ…
どうなる事かと思いました。
やむなく私一人でその日はセッションしに『スタジオ106』へと向かいました。
今では大変お世話になっている『REDROSE』さんのイベントの初出演がこんな形になってしまい…
決して順調な滑り出しではなかった1月。
2月には私とnoricoさん二人そろってライブをする事ができました。
3月には『港ハウス』…4月には『門司赤煉瓦ホール』。
しかし私の中では…カウントダウンは既に2011年の頭から始まっていたのです。
そして5月。
『7月のMiya-JickでE-Projectを解散したい。』とnoricoさんに話しました。
実は2010年の12月に…『2011年いっぱいで解散したい』という旨を…
noricoさんには話していたのです。
『解散』から『活動休止』になったのは…二人の話し合いで決定した事です。
私には今年達成したいと思っていた3つの目標がありました。
楽しいだけの音楽活動はしたくなかったのです。
私ももう40代半ば。
30年近く音楽活動をやってきて…
形になったものはCDぐらい。
まだまだやるべき事はある。
そう思い…期限を決めて真剣に音楽に打ち込むつもりでした。
その私の強い思いがnoricoさんにプレッシャーを与えていた事は否めません。
4月の『赤煉瓦ホール』のライブが終わった時点で…限界を感じました。
そして5月の中旬…noricoさんと話し合い…活動休止が決定しました。
noricoさんは素晴らしいボーカリストです。
私の楽曲をすべて自分の物にしてしまい…
その優れた表現力でお客さんを惹きつける才能がありました。
もっと彼女の良さを引き出したい。
思い出に残る事をしてあげたい。
5月の『SEC』のライブには…私が個人的に親しくさせていただいている…
『チキンナゲッツ』さんも出演されるというのが分かっていたので…
事前にボーカルのナルちゃんに無理やりお願いして…noricoさんとデュエットしてもらいました。
ナルちゃんとnoricoさんの共演は…それはそれは素晴らしいものでした。
noricoさんは喜んでくれたかな…。
6月はちょっとライブをお休みしまして…
7月…とうとう『E-Project』最後のステージ…『Miya-Jick』の日。
その日は雲ひとつない快晴。
夏の陽射しが照りつける暑い日でした。
当日…司会という大役を果たし…
しかもアコースティックステージのトリを務めさせていただく事になっていました。
今回の『Miya-Jick』は『路上ステージ』なる物が設置され…
本番前にちょっと練習がてらギター1本持って5曲ほど演奏させていただきました。
やがて時は過ぎ…
陽も暮れかけた19:00過ぎ…私たちの最後のステージ。
たくさんの皆さんが観に来てくれた事。
嬉しかったです…。
3曲という短いステージでしたが…
『E-Project』は完全燃焼しました。
『E-Project』は私の夢であり…私そのものでした。
noricoさんという素晴らしいボーカリストと共に音楽活動ができた事を誇りに思っています。
『E-Project』がなかったら…今の私はありません。
私が音楽活動を始めた頃に夢見ていた事…。
それは…
『オリジナル曲だけで1ステージ演奏する。』
取るに足らない小さな夢です。
音楽をやってらっしゃる方には当たり前の事なんでしょうが…
私にとってはなかなか実現できなかった夢だったんです。
全てはその夢が実現した事から始まりました。
人間って欲が出てくるもので…
次の夢…また次の夢…というふうにどんどん夢は膨らんでいきます。
時にはその夢のために…自分自身が押しつぶされてしまう事もあるでしょう。
夢の波に呑み込まれそうになった時…
出会ったたくさんの方々との繋がりが…這い上がれる力になったのは言うまでもありません。
小さな夢からスタートした『E-Project』。
新たな夢に向って…その役割を終えました。
失った物も得た物も…全部ひっくるめて…
私にとっては…
とても…
かけがえのないものでした…。
ありがとう。
ここで少々…2011年前半の事を振り返りたいと思います。
Bass,Eiichiro…Vocal,noricoで活動をしていた『E-Project』。
今年の最初のステージはnoricoさんのインフルエンザで出演不可能という事態に見舞われ…
どうなる事かと思いました。
やむなく私一人でその日はセッションしに『スタジオ106』へと向かいました。
今では大変お世話になっている『REDROSE』さんのイベントの初出演がこんな形になってしまい…
決して順調な滑り出しではなかった1月。
2月には私とnoricoさん二人そろってライブをする事ができました。
3月には『港ハウス』…4月には『門司赤煉瓦ホール』。
しかし私の中では…カウントダウンは既に2011年の頭から始まっていたのです。
そして5月。
『7月のMiya-JickでE-Projectを解散したい。』とnoricoさんに話しました。
実は2010年の12月に…『2011年いっぱいで解散したい』という旨を…
noricoさんには話していたのです。
『解散』から『活動休止』になったのは…二人の話し合いで決定した事です。
私には今年達成したいと思っていた3つの目標がありました。
楽しいだけの音楽活動はしたくなかったのです。
私ももう40代半ば。
30年近く音楽活動をやってきて…
形になったものはCDぐらい。
まだまだやるべき事はある。
そう思い…期限を決めて真剣に音楽に打ち込むつもりでした。
その私の強い思いがnoricoさんにプレッシャーを与えていた事は否めません。
4月の『赤煉瓦ホール』のライブが終わった時点で…限界を感じました。
そして5月の中旬…noricoさんと話し合い…活動休止が決定しました。
noricoさんは素晴らしいボーカリストです。
私の楽曲をすべて自分の物にしてしまい…
その優れた表現力でお客さんを惹きつける才能がありました。
もっと彼女の良さを引き出したい。
思い出に残る事をしてあげたい。
5月の『SEC』のライブには…私が個人的に親しくさせていただいている…
『チキンナゲッツ』さんも出演されるというのが分かっていたので…
事前にボーカルのナルちゃんに無理やりお願いして…noricoさんとデュエットしてもらいました。
ナルちゃんとnoricoさんの共演は…それはそれは素晴らしいものでした。
noricoさんは喜んでくれたかな…。
6月はちょっとライブをお休みしまして…
7月…とうとう『E-Project』最後のステージ…『Miya-Jick』の日。
その日は雲ひとつない快晴。
夏の陽射しが照りつける暑い日でした。
当日…司会という大役を果たし…
しかもアコースティックステージのトリを務めさせていただく事になっていました。
今回の『Miya-Jick』は『路上ステージ』なる物が設置され…
本番前にちょっと練習がてらギター1本持って5曲ほど演奏させていただきました。
やがて時は過ぎ…
陽も暮れかけた19:00過ぎ…私たちの最後のステージ。
たくさんの皆さんが観に来てくれた事。
嬉しかったです…。
3曲という短いステージでしたが…
『E-Project』は完全燃焼しました。
『E-Project』は私の夢であり…私そのものでした。
noricoさんという素晴らしいボーカリストと共に音楽活動ができた事を誇りに思っています。
『E-Project』がなかったら…今の私はありません。
私が音楽活動を始めた頃に夢見ていた事…。
それは…
『オリジナル曲だけで1ステージ演奏する。』
取るに足らない小さな夢です。
音楽をやってらっしゃる方には当たり前の事なんでしょうが…
私にとってはなかなか実現できなかった夢だったんです。
全てはその夢が実現した事から始まりました。
人間って欲が出てくるもので…
次の夢…また次の夢…というふうにどんどん夢は膨らんでいきます。
時にはその夢のために…自分自身が押しつぶされてしまう事もあるでしょう。
夢の波に呑み込まれそうになった時…
出会ったたくさんの方々との繋がりが…這い上がれる力になったのは言うまでもありません。
小さな夢からスタートした『E-Project』。
新たな夢に向って…その役割を終えました。
失った物も得た物も…全部ひっくるめて…
私にとっては…
とても…
かけがえのないものでした…。
ありがとう。