先日救急車で大学病院のERに搬送された義父(78)ですが
予定よりもずっと早くICUを出られました♪
まだ鼻に酸素吸入のチューブが着いていますが
月曜日からリハビリに入っているはずです。
ご心配をおかけしました・・・
義父と一緒に住んでいる義姉に聞いた話では
先月12日(金)の朝、仕事に出る際声をかけたら返事がなかったのだそうです。
どうしたのかと尋ねても、はっきり答えない義父。
風邪でもひいたのかと、さして気にせずに仕事に出かけたそうです。
そうしたら、夕方に
家業を継いで近所に住む義兄から「近くの病院に入院した」と連絡があったのだとか。
何でも、義父は
苦しい体で自ら車を運転をし近所の病院に駆け込んだらしい。
診断は、肺炎でした・・・。
慌てて15日(月)に夫と2人でお見舞いに行ったのですが
入院して3日目だというのに、どうも様子が芳しくありません。
熱があって、「寒い寒い」と言っていました。
遠くから来た私たちに心配をかけまいと
酸素吸入のチューブを着けながらも元気に振舞おうとするのですが
咳と痰がすごくて会話が続きません。
高齢者の肺炎がどんなに恐ろしいか
私は自分の祖母で経験があります。
一瞬、嫌な予感がしました。
夫と2人で、もっと大きい病院への転院を勧めたものの
そのまま後ろ髪を引かれる思いで帰りました。
そのわずか2日後です。
夕方に義姉から私に連絡がありました。
昼ごろに義父の容体が急変し、さっき救急車で搬送されたが
まだ搬送先が決まらない。
決まったら連絡すると・・・。
予感が当たってしまったと思いました。
強く転院を勧めなかった事を、激しく後悔しました。
急いで夫に連絡すると、電話越しに大きなため息をついて、一言。
「そう・・・。」
きっと、夫も嫌な予感がしていたに違いありません。
約30分後に某大学病院に搬送が決まり
とりあえず、病院に向かう準備を急いでするものの
何をどうしたらいいのか・・・?
容体急変の詳しい経緯を知らない私には
義父がどうなったのかがさっぱり分かりません。
苦しんでいる状態なのか、既に意識が無い最悪の状態なのか・・・?
しばらくして、意識がある事は分かったものの
今度は「人工呼吸器をつけるか否かの判断を
医師から迫られて迷っている」
「家族を全員呼んだ方が良いと医師からしきりに言われている」
と連絡があり
私はちょっとしたパニックに陥ってしまいました。
( 結局、義兄の判断で
いかなる状態になっても人工呼吸器は着けないという同意書に
サイン )
最悪の想定が一気に頭の中をグルグルと駆け巡り
息が詰まって倒れそうになりました・・・。
早退した夫と車で病院に駆け付けた時
時間はもう21時をまわっていたと思います。
ERからICUに移された義父は、薄暗い部屋の中で
ベッドごと体を起こした状態でこちらを向いていました。
呼吸が苦しいせいか、肩が激しく上下しています。
顔には、最近導入されたばかりだという高性能のごつい酸素マスクが着いていて
義父の口に圧力で酸素を送っていました。
義父の後ろでこちらを見下ろすように設置された
バイタルサインの大きなモニター。
そして、それらと義父を繋ぐいくつものコード。
壁から出たバルブや
シューシューという酸素の音、ピーピーと頻繁に鳴る警告のアラームが
まるで工場に紛れ込んでしまったような錯覚に陥らせます。
そんな部屋の中で義父は、青ざめた顔に虚ろな目で
けれど、ハッキリと言いました。
「遠い、ところ、わざわざ、ありがとうね。」
思わず涙ぐみました。
だって、もしかしたら間に合わないかもしれないって
思っていたから・・・。
夫も、ただ「うんうん」頷くだけで
言葉にならないようでした。
部屋を出た後、ファミレスで義兄と義姉から話を聞きました。
なぜ、こんなに急激に悪化してしまったのか・・・。
もともと肺の病気だったかもしれない事(間質性肺炎の急性増悪)
使用していたウイルス性・細菌性の肺炎に対する薬が
効かなかったかもしれない事。
いくつか持病があるので、それらが原因かもしれない事。
(大動脈弁狭窄症・心不全による肺水腫、糖尿病など)
そして、高齢なので肺の組織を直接調べる検査はリスクが高く
ハッキリと原因を特定するのは難しい事。
ひとつひとつ可能性をつぶしながら投薬治療をしていく事などを
医師から説明されたそうです。
最悪の事も考えていた私は、思ったより元気そうな義父を見て
少しホッとしました。
元大工なので体力はあるんですよね。
搬送される前も食事はしっかり食べていたようですし。
だから、後は気力の問題だと思いました。
あんな苦しい状態では、きっと今夜は眠れないだろう・・・。
だけど、どうか気持ちが切れてしまいませんように。
義父の生きる力が、病気に勝ちますように。
そう祈りながら、私たちは家に戻ったのでした。
つづく