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当時ソ連と米国が宇宙開発競争に凌ぎを削りあっていた'63年6月16日、ソ連から一人の女性宇宙飛行士がボストーク6号に搭乗し宇宙空間へ飛んだ。「私はカモメ」で世界中に知られる、ワレンチナ・ウラジミロヴナ・テレシコワ女史である。彼女が今年の6月16日に世界初女性による宇宙飛行50周年を迎え、プーチン大統領よりアレクサンドル・ネフスキー記章が授与された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/28/4a/9bd543247f45b382dfa869c75a60b3ce_s.jpg)
2011年から露連邦議会の下院議員、同議会国際関係部門委員会副委員長という肩書きを持つ鉄の女であり、現在76歳。
搭乗者選抜時は数百名の中から、5名が最終的に選出された。彼女は中でも成績は優秀だったが、生理学的見地からは5名の中では最下位だった。しかしフルシチョフ書記長の干渉とロケット開発指導者コロリョフらの黙諾により、宇宙飛行の座を獲得したのだ。理由は社会的出生であった。彼女が農村出身のたたき上げで、また祖父が赤軍出身、冬戦争(ソ連-フィンランド戦争)で殉死した英雄だからである。同境遇で生まれ育った書記長にとっては親近感が沸く候補生だったし、祖父が祖国を守り抜いた戦争の同志であれば、政府はプロパガンダでき非常に好都合だったのだ。
そして飛行中自動制御プログラムにエラーが起き、地上着陸システムで軌道から下降しなければならないのに、逆に機体が上昇。30年の沈黙を破り、数年前に発表されたボストーク6号秘話である。実は飛行前、訓練生用食料と交換に地元食を持ってきてもらい、これを食べた。そして飛行3日間は飲まず食わずだったそうだ。通称カンヅメと呼ばれた快適でない操縦室で女性ただ一人、宇宙酔いで時々昏睡しながらも管制室と連携を取ってアクシデントと格闘し、地球を48周後無事帰還できたのは本当に奇跡であり、彼女の技術力・機転力そして強運に他ならない。
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2011年から露連邦議会の下院議員、同議会国際関係部門委員会副委員長という肩書きを持つ鉄の女であり、現在76歳。
搭乗者選抜時は数百名の中から、5名が最終的に選出された。彼女は中でも成績は優秀だったが、生理学的見地からは5名の中では最下位だった。しかしフルシチョフ書記長の干渉とロケット開発指導者コロリョフらの黙諾により、宇宙飛行の座を獲得したのだ。理由は社会的出生であった。彼女が農村出身のたたき上げで、また祖父が赤軍出身、冬戦争(ソ連-フィンランド戦争)で殉死した英雄だからである。同境遇で生まれ育った書記長にとっては親近感が沸く候補生だったし、祖父が祖国を守り抜いた戦争の同志であれば、政府はプロパガンダでき非常に好都合だったのだ。
そして飛行中自動制御プログラムにエラーが起き、地上着陸システムで軌道から下降しなければならないのに、逆に機体が上昇。30年の沈黙を破り、数年前に発表されたボストーク6号秘話である。実は飛行前、訓練生用食料と交換に地元食を持ってきてもらい、これを食べた。そして飛行3日間は飲まず食わずだったそうだ。通称カンヅメと呼ばれた快適でない操縦室で女性ただ一人、宇宙酔いで時々昏睡しながらも管制室と連携を取ってアクシデントと格闘し、地球を48周後無事帰還できたのは本当に奇跡であり、彼女の技術力・機転力そして強運に他ならない。
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