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本と音楽とねこと

日本の文脈,現代霊性論

内田樹・中沢新一,2012,日本の文脈,角川書店.(1.28.25)

『日本辺境論』の内田樹と、『日本の大転換』の中沢新一。野生の思想家がタッグを組み、いま、この国に必要なことを語り合った渾身の対談集。

 アタマの切れるお二人なだけに、文句なしにおもしろい。

 丁々発止というより、論点、話題があっちこっちに飛んで──それが「おばさん」的なのだそうだがポリコレ的にそれはまずいと思うぞ──わけわかめになりそうになりながら、共鳴、共感するほかない、ふわっとした結論に着地する。

 内田さんの、贈与=人間始原論には、心底、共鳴する。

内田
(前略)
 すべての人間的営為は、突き詰めれば、「贈与と反対給付」によって構成されている。労働もそうなんです。労働は労働するに先立って、すでに贈与を受けたことに対する返礼なんです。等価物の交換じゃない。これだけの努力をしたから、これだけの報酬をくださいという話じゃないんです。僕たちはいくら返しても返しきれないものをすでに贈られている。だから、お返ししなくちゃいけない。それが労働の基本的な動機づけだと思うんです。自分はすでに負債を負っている。だから、このご恩を返さねばならないというマインドセットがないと、人間は労働しない、労働できないんです。すべての人間的な営み、人間的創造の起点にあるのは、この無根拠な負債感だと思う。
(後略)
(p.120)

目次
プロローグ これからは農業の時代だ!
第1章 これからの日本にほんとうに必要なもの
第2章 教育も農業も贈与である
第3章 日本人にあってユダヤ人にないもの
第4章 戦争するか結婚するか
第5章 贈与する人が未来をつくる
第6章 東洋の学びは正解よりも成熟をめざす
第7章 世界は神話的に構成されている―東日本大震災と福島原発事故のあとで


内田樹・釈徹宗,2013,現代霊性論,講談社.(1.28.25)

イマドキの暮らしに霊なんて関係ない?いいえ、人間の営みと“スピリチュアル”は切っても切れないものなんです。タブー、占い、カルトと霊のつながりとは。新宗教から靖國まで現代における宗教の役割とは何か。霊的であることは、畏れを知ること―内田氏と釈氏の掛け合いがグルービーな面白すぎる宗教漫談。

 神戸女学院大学での「宗教掛け合い漫談」の講義録。

 人智を超えた存在への畏れ、それは人類普遍のものであって、わたしのよな不信心な者でも、それはたしかに存在する。

 脳=身体が感得する畏怖が他者のそれとシンクロし、その「共通感覚」が備蓄され維持されてきたもの、それが「霊性」であろう。

 脳=身体、他者、「霊性」、この3つは、不可分のものであることに、あらためて思い至った。

目次
第1章 霊って何だろう?
第2章 名前は呪い?
第3章 シャーマン、霊能者、カウンセラー―民間宗教者のお仕事
第4章 スピリチュアル・ブームの正体
第5章 日本の宗教性はメタ宗教にあり
第6章 第三期・宗教ブーム―一九七五年起源説
第7章 靖國問題で考える「政治と宗教」
第8章 宗教の本質は儀礼にあり
第9章 宗教とタブー


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