ウォルフレンが指摘するとおり、日本では、マルクス主義の弊害からか、「ブルジョワジー」(中流階級)は敵対、蔑視の対象でしかなかった。
しかし、実際には、マルクスが革命の担い手として期待した「プロレタリアート」はしょせん烏合の「群衆」にしかなり得ず、守るべき私有財産を所有する「プチブル」こそが、官僚と既得権益層の支配を許さぬ政治の、ときには社会変革の担い手となった。
日本で、そうした「中流階級」が形成されなかった、その経緯については、本書で、イエ制度の定着、残存原因説として詳しく説明されているとおりであるが、宮島喬の所説をふまえれば、政治的無関心と政治的覚醒の両方の可能性をもった私生活中心主義が、日本では、もっぱら前者にのみ向かうこととなってしまったということなのだろう。
24年もむかしの書物であるが、日本社会の現状を分析した作品として現在でも通用する内容である。それだけ、日本の政治も、経済も、そして社会も、停滞したまま、なにも変わっていないということなのだろう。
心からの同情を込め、最高の日本分析家が説く21世紀ニッポン、ただ一つの希望の道。「おとなしい中流」が「怒れるブルジョア」に変わるとき、この国のすべてが幸福な方向へ一変する。
目次
第1章 カプセルのなかの日本
第2章 メディアにだまされるな
第3章 中流階級が国をつくる
第4章 ブルジョアジーを見直そう
第5章 日本というシステムとその目的
第6章 未来を自らの手に
第7章 民間部門という虚構
第8章 「システム」の付属品としての女性と子供
第9章 日本というシステムの破綻
第10章 労働者と中小企業の運命
第11章 お荷物を捨てて飛び立とう
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