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「こころ」はだれが壊すのか

佐藤幹夫編著,2003,「こころ」はだれが壊すのか,洋泉社.(3.24.2021)

 言うまでもないことだが、「精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)」にしたがって、「〇〇障害」とレイベリングすることには、功罪がある。
 レイベリングされて救われるのは、たとえば、早期に、「自閉症スペクトラム」と診断された児童が、教師等による「合理的配慮」を受け、非定型的な発達を保障されたりすることであり、当事者や家族が障がいを受容することで、「本来的にできないものはしようがない」と適度に諦め、自責して苦しむ必要がないことにあるだろう。
 一方で、レイベリングは、個人ごとに多様な心身のありようを、特定の「鋳型」に括り入れ、その人なりの、「非非定型的」な発達のありよう、つまりは「少し工夫すれば普通にできるようになる」という可能性なり可塑性を閉ざしてしまうこともある。
 「触法精神障がい者」についても、動機が理解不能な、凶悪犯罪加害者を、理解が不能であるがゆえに障がいカテゴリーに括り入れるのは本末転倒である。
 難しい問題ではあるが、こうした論点ぬきに、障がいを論じてはならないだろう。

犯罪者は「障害者」なのか。「児童虐待」は「保護」されて一件落着か。「障害」の早期治療とはなにか。教師の「こころ」はなぜ蝕まれているのか。…こうした「問題」の背後で進む、なにかにつけ医療に「お任せ」、精神医療言説に「お任せ」、あなた任せの「精神医学化」する現代社会固有の弊害は、「社会のふところを浅くする」ところにある。練達の精神科医が根底から問い直す。

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