ネコの魅力は、徹底して自己本位で、けっして無条件では人間に媚びない点にある。
ミャーと鳴いて、からだを擦り寄せてくるときは、ちゅーるをあげないといけないし、ツメ研ぎの上に寝転がるときは、おしりをぽんぽん叩いてやらないといけない。
連綿と受け継がれてきた野生と、幼年期の社会化と人間との共生で培われてきた社交性、この両者の気まぐれな表出、これが最大のネコの魅力だ。
地位獲得のための闘争と、その結果としての独裁者や社会的追放者が存在するのは、すべての動物種のなかでイヌとサル、それにヒトの社会だけである。ある社会集団に所属することによる利益は、すべての個体にとって平等というわけにはいかない。なぜなら、ヒトをも含む動物界において、生物学的にもっとも優れた社会が同時に民主的であるとはかぎらないからである。したがって、その社会の条件に順応せねばならないという束縛からのがれられない私たちは、他人を押しのけてでも競争しようとする。生き残れるかどうかは、社会的地位によってきまる。今日の教育制度は、生徒たちに協力し合うことを教えない。幼少時から、他の人と競争することしか教えこまれず、競争に勝った者だけがむくわれることを学んでいる子供たちは、将来の地位獲得闘争に参加する準備をしているのにほかならない。
教育者のなかにも、今の教育が、子供たちに誤った生活態度を条件づけ、子供たちをあせりと不安と精神疾患に満ちた人生に送りだすことになっていると気づいている人もいる。だが、ほとんどの教育者は、それがこの社会の現実である以上、子供たちに競争の手ほどきをしてやらないわけにいかないと反論するだろう。しかし、それはこじつけというものだ。力と勇気と、ひとりで生きて行くという信念をもった──ネコのような──人は、人生で幸福と満足を得られることが多い。そういう人は他人の意見や、自分が社会に受けいれられるかどうかといったことに左右されない。他人を押しのけるような競争に巻き込まれることもない。社会的に追放されたり、変人とか脱落者といった烙印を押されようとも、彼らには関係のないことなのだ。高度に組織化された社会制度に束縛され、順応させられているほとんどの人々とは、その対岸に立っているのである。
(『ネコのこころがわかる本』pp.190-191)
「ひとりでいまここだけを気ままに生きひとりでひっそりと死んでいく」、ネコは、そうした人生の充足のあり様を教えてくれている。
マイケル・W・フォックス(奥野卓司・新妻昭夫・蘇南耀翻訳),1991,ネコのこころがわかる本,朝日新聞社.(1.1.25)
デズモンド・モリス(羽田節子訳),2009,なぜ、猫はあなたを見ると仰向けに転がるのか?(キャット・ウォッチング1),平凡社.(1.1.25)