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本と音楽とねこと

【旧作】〈民主〉と〈愛国〉【斜め読み】

小熊英二,2002,〈民主〉と〈愛国〉──戦後日本のナショナリズムと公共性,新曜社.(1.12.2021)

 966ページにおよぶ大作。
 丸山眞男、大塚久雄、竹内好、吉本隆明、江藤淳、鶴見俊輔、小田実、これらの人々の思想をあらためて把握できたのは収穫であった。
 原典にあたって記述の正確さを期す態度もすばらしい。分量もさることながら、さっさと読み飛ばすわけにはいかない濃密な内容に、たじろぐ人も多いだろう。
 表紙の写真は、昭和天皇、ヒロヒト。もっとも大きな責任を問われるべき戦争犯罪人であることは明白であるが、本書にあるとおり、アメリカ政府に命乞いし、沖縄を米軍基地用地として差し出すことさえ進言し、おめおめと生き延びた、まさに「醜悪な日本国民の象徴」であった。
 ヒロヒトを裁けなかった日本国民に、「民主」も「愛国」もあったものではなかろう。

私たちは「戦後」を知らない
あなたは、共産党が日本国憲法の制定に反対し、社会党が改憲をうたい、保守派の首相が第九条を絶賛していた時代を知っているだろうか。戦後の左派知識人たちが、「民族」を賞賛し、「市民」を批判していた時期のことをご存じだろうか。全面講和や安保反対の運動が「愛国」の名のもとに行なわれたことは? 昭和天皇に「憲法第九条を尊重する意志がありますか」という公開質問状が出されたことは?
 焼跡と闇市の時代だった「戦後」では、現在からは想像もつかないような、多様な試行錯誤が行なわれていた。そこでは、「民主」という言葉、「愛国」という言葉、「近代」という言葉、「市民」という言葉なども、現在とはおよそ異なる響きをもって、使われていたのである。
 一九九〇年代の日本では、戦争責任や歴史をめぐる問題、憲法や自衛隊海外派遣の問題、あるいは「少年犯罪」や「官僚腐敗」などの問題が、たびたび論じられた。しかしそれらの議論が、暗黙の前提にしている「戦後」のイメージは、ほとんどが誤ったものである。誤った前提をもとに議論しても、大きな実りは期待できない。私たちはまず、自分たちが「戦後」をよく知らないということ、「戦後」に対する正確な理解が必要であることを、自覚することから始めるべきだと思う。
 この本は、そうした問題意識から出発して、「戦後」におけるナショナリズムと「公(おおやけ)」をめぐる議論が、どのように変遷して現代に至ったかを検証したものである。このテーマを追跡するために、「戦後」の代表的な知識人や事件は、ほとんど網羅することになった。
 たとえば丸山眞男・大塚久雄・吉本隆明・江藤淳・竹内好・鶴見俊輔などの思想はもとより、共産党や日教組の論調、歴史学者や文学者などの論争も検証した。憲法や講和、安保闘争、全共闘運動、ベトナム反戦運動などをめぐる議論も、可能なかぎり追跡した。さらに戦争や高度経済成長などが、こうした思想や論調にどのような影響を与えたのかも、重視されている。
 結果として本書は、「戦後とは何だったのか」そして「戦争の記憶とは何だったのか」を問いなおし、その視点から現在の私たちのあり方を再検討するものとなった。「私たちはどこから来たのか」、そして「私たちはいまどこにいるのか」を確かめるために、読んでいただきたいと思う。
著者 小熊英二

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