京都•左京区 フェルデンクライス/アート/ダンサブルな暮らし

身体と芸術、社会とのつながりを実践しながら研究活動を行う。
発達教育学/ソマティクス教育/表現文化

ケガとフェルデンクライス体験話⑤

2009-03-25 | フェルデン暮らし事典

本日は、前回の続き 体験話⑤ 迷いと調整への挑戦(2/21 公演開始 一週目)

 ”習慣と動き”をテーマにして 望んだソロダンス制作プロジェクト“季節の花”そのことをテーマにして 踊ろうと決めたきっかけは、

環境や自分の自己イメージが変化しているにもかかわらず、同じ行動や考えを保とうとする自分自身を変化させるにはどうしたらよいか

に興味があったからです

即興舞踊をする中で、環境が変われば、今まで習った技術や習慣的なからだの使い方を使わずに、その場を踊ることが可能なのか

=全く新しい動き(躍り)を生まれさせることは

理論的には上の考えに従えば可能だけれども)

神経の今まで多くやってきたやり方を保持しようとする性質を無視して果たして可能なのだろうか?

と考えたのです。

①周囲の環境や今ある自己イメージによって 自分自身の行動が決まってくるのなら、環境が変われば、自分自身でも体験したことがない踊りや動きを生まれさせることができるはず、、、 

②それでも同じ行動をしたがる心と体は、いつも神経にしたがうばかりなのでしょうか?その神経の機能を無視して、習慣的ではない技術と踊りを生まれさせることは可能なのでしょうか?

そんなことを、考えプロジェクトに応募しました

それを実行すべく望んだけれども、尾骶骨を強打(アウチ!!)そんな状況の中、実際に動かずに作品のアイディア、構成、動きを作り上げる毎日。

そして、からだの調整もできてきたその週 実際に踊ってみると、次のことが起こってしまいます!

考えは、習慣的でない動きを作り出そうと設定を試みていますが

神経は自分を守ろうと今まで自分がしっている技術と動きをしたがります

それは、まさにそれを手放してしまっては 今の自分が全く崩壊されてしまうと体が不安感を抱いている状態で、神経がそれをさせるかと一所懸命働いているかのように感じられます。

①痛さを伴って、新しい環境に直面し 新しい動きを創作できる絶好のチャンスにいながらも、

②神経は、自己を守ろうと 今までに学んだ知識を安全のためそう簡単に手放そうとはしてくれません

あら、ありがたいけど、新しい創作には邪魔ねーと感じながら

神経のありがたさと 混乱をみました。

そして、公演当日。舞台上のわたし、音、照明 踊りが始まります。こころとからだに添って、聞いて 観察のくり返し 

そして、神経とからだの迷いのダンスは頂点に達し、迷いと安心の両方を体と心に与えるように初日を迎えることになります。

 


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