
2002 初夏
負の世界遺産 ポーランド・アウシュヴィッツ強制収容所のチケット
でも、チケットといっても記念のもので、ここは無料
アウシュヴィッツというのはドイツ語のいい方です。
(ポーランド語ではオシフィエンチムといいます。)
ヨーロッパに住んでいると、いつも、どこかで戦争の傷跡を目の当りにします。
歴史や現在の生活と切っても切り離せない事実です。
息子が小学校に通う途中も「Gleis 17」(グリューネバルト駅17番線)があり、
ここからアウシュヴィッツ強制収容所にいった方達が大勢いました。
戦争のことに興味を持った息子はどんなところか行きたいと言い出し、
私達は学校の休みを利用してポーランドに行こうということになったのです。
私は決して楽しいところではない。
むしろ驚いたり、残酷で見られないかもしれない。
悲しくなるかもしれないということを言い聞かせました。
アウシュヴィッツ強制収容所をご覧ください。
ドイツのお隣のポーランドへは夜行列車で入りました。
ベルリンからワルシャワまで5時間30分~7時間45分
(列車によって,所要時間が異なります)
ワルシャワからクラクフまで急行かICで2時間50分~5時間10分
どうしてこんなに列車によって時間が違うのかわかりませんが
今思い出すと駅があまりないんです。
同じコンパートメントの乗客の紳士は貨物の線路だったと言っていたような?
1等車だったのでお弁当のサービスもありました。
(残念ながら写真はありません。)
クラクフからオシフィエンチムはローカル列車で1時間~1時間40分
アウシュヴィッツにたどり着くまで長いこと時間がかかります。
オシフィエンチムからはバスで博物館前で下車。
やっと到着です。
さあ、見学!!と行きたいところですが、
もう、みなさんはアウシュヴィッツがどんなところかお解りですよね。
というわけで、マンマのBlogではアウシュヴィッツのことはさて置き
その時乗り換えの待ち時間でのマンマの感想をお話ししたいと思います。
それは...
1組のアジア人若者カップルのことです。
興味津々、好奇心丸だしマンマの出番ですわよ~ん!!
先ほどもお話ししたように田舎の駅なので
乗り換えにとっても時間がかかります。
そしてそんなわけで、1日の本数が少ないので乗るメンバーも行きも帰りも見慣れた顔ぶれ。
駅前の食べ物を売っていたお店を訪れるお客さんもそのメンバー。
お客さんの中にその若者カップルがいたわけなんですう~。
何がそんなにマンマの興味を引きつけたと言うと
その男女のカップルはひと言も言葉を交わさないのよ。
女の子の方がポロッとしゃべったんですね、その彼に...
なんと日本語!!マンマ

チラッと聞こえたのは日本語だったんですね。
でも、男の子の方は声すら発せず。
結局、2人の会話らしい会話は聞こえませんでした。
何時間も2人を観察してしていたのにもかかわらず、つまんな~い

不思議な2人。
マンマお得意のナンパもせず。そんな感じなので声かけにくくって...
あの2人はどうなったんでしょうね~。
話は元に戻りますが
あれから6年、上の息子にアウシュヴィッツの感想を聞きました。
「不思議と覚えてないよ。」
あの時は小学2年生でした。
あんなにいろいろなことが記憶に残っているというのに...
そうとう当時の彼にとって衝撃的な恐ろしい出来事だったんだろうと思います。
自分が立っているこの場所で行われた恐ろしい様々なこと。
あんなに小さかった息子も、私も、周りの外国人の人も、
展示物、写真、説明文を見て泣き出していましたから...
日本は平和な国です。
私達は本当の戦争の恐ろしさ、悲惨さはわかりませんが、
(マンマなんてよく平和ボケと言われている)
世界中が平和な世の中になるよう願ってやみません。


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