はい皆さんこんにちは!!
さてさて、
皆さんは、自分の人生というものに、
充実感を覚えていますでしょうか?
充実感を感じている、という方は全然OKなのですが、
問題なのは、
今、なぜ自分がここにいて、こうして生きているのか、
その意義や意味を見出せない、
と感じている人です。
でも、僕は霊能者として、
普通の人よりは少しは達観しているつもりですので、
そんな方々に、
言いたいことが一つだけあります。
それは、
自分の人生に、意義だとか、意味など、
見出す必要はまったくありません!
淡々と、何も考えずに、
毎日起きるできごとを、
そのまま受け入れて生きて行ってくださいね!
と、ゆーことです。
人間社会を大きな森だと想像してみてください。
ならばあなたの立場、ポジションというのは、
その森の中にたくさん生い茂っている、
木の葉の一枚に過ぎません。
太陽の光がさんさんと当たれば、
光合成を起こして充実した気分になれますが、
時には大きな嵐がやってきて、
木の枝から剝がされそうになることもあります。
あなたの上に、別の木の葉が生い茂り、日陰になって、
あなたに十分な太陽光が当たらず、
自分の上に生えている木の葉を、
ものすごく邪魔だ、と感じる時もあるでしょう。
そしてやがて寿命が来れば、
あなたという木の葉は枯れて地面に落ちて、
腐敗して、他の木が育つための栄養分となるのです。
人生なんて、
所詮、森の中にある、
木の葉の一枚のようなものに過ぎないのです。
木の葉が、自分が芽吹いて、
木の枝に生えてきた意味や意義なんてものを考えるでしょうか?
僕は木の葉になったことはないので断言はできませんが、
多分そんなことは考えないでしょう。
太陽の光を浴びて、光合成をおこなって家養分を作り、
それを木に還元するだけです。
本当は、それで十分、あなたは社会という大きな森の中で、
大きな役割を果たしているのです。
ですから、それだけで十分、あなたには生きていく価値があるのです。
ですが、現代の情報化社会ではなおさら、
自分が、ただの木の葉1枚の存在では満足できない、
という心理が木の葉に生まれます。
それは、なぜ私は誰からも見向きもされない木の葉に生まれてきてしまって、
みんなが愛でてくれる「花」として生まれてこれなかったのだろう…という疑問であり、羨望です。
例えば梅の花に生まれたなら、梅の花の咲く季節には、
わー! きれいな梅の花が咲いている!
と人々が足を止めて、花を眺めてくれることでしょう。
梅園で、梅の花が大輪の花を咲かせましたと伝えるニュースはあっても、
素晴らしい木の葉が青々と茂っています、
と伝えるテレビニュースはありません。
ですから、現代の情報化社会の中で生きていると、
皆、花を羨むし、花に憧れるし、自分もできることなら、
木の葉ではなく花になりたい、と思ってしまいがちです。
だけどね…と僕は思うのです。
木の葉がなければ、木も育たないから、
花を咲かせることもできません。
木の葉が木に十分な栄養分を送るからこそ、
花を咲かせることができるのです。
ものすごく俯瞰して見れば、
木の葉も、その木に咲く花も、
それぞれに大切な役割というものがあります。
僕は霊能者としてはまったく無名ですし、
もっと有名になりたい、
それこそ江原啓之さんのような有名人になって、
お金をたくさん稼いでウハウハな生活を送りたい…
という思いがまったくないというわけではありません(笑)。
ですが、無名な霊能者にも、
無名な霊能者としての役割というものがあるのですね。
例えば、僕は「龍神宿し」というセミナーを毎月やっていて、
10月からは「お稲荷様財縁宿し」というセミナーを始めます。
これが江原啓之さんのような有名人がやるセミナーなら、
人も殺到するので、
心から龍神やお稲荷様の存在を信じ、
そのご加護に預かりたいという人に、
セミナーを受けてもらうことができないかもしれません。
江原啓之さんには彼の役割というものがあり、
僕には僕の役割というものがあるのです。
植物に例えるなら、
江原さんは一鉢何千万円もする盆栽のようなものですが、
僕は、まだまだ、その辺に生えてる木の、木の葉の一枚です。
高価な盆栽にも、その辺の木の葉1枚にも、
それぞれの役割というものがあります。
それに、あの江原啓之さんだって、
最初から、あんなに売れっ子霊能者になれたわけではありません。
1冊目の本は、売上も全然ダメだったそうですしね。
ですが、僕にはサラリーマンとしての本業も経験しているので、
霊能者としてしか生きてこなかった江原啓之さんですら語れない「ネタ」というものを、
僕は引き出しの中にたくさん持っています。
これは僕が無名で、考える時間がたくさんあるからこそ、
人様の幸せというものを、
無名の霊能者ながらにたくさん真剣に考え、
それを、できるだけわかりやすい言葉にして、
皆さんに伝えようと、日夜精進しているからです。
もちろん江原さんが精進していないと言いたいわけではありませんが、
一度テレビで、江原さんが今住んでいる豪邸を観たことがありまして、
あんな大豪邸に住んでいたら、
僕みたいに、チマチマとこうしてブログ記事を書く気も起きないことでしょう(笑)。
なんて江原啓之さんのことはさておき、
とにかく、
自分が生きる意味とはなんぞや?
と、自分の存在意義に疑問を感じた時に、
人は苦しくなるのです。
でも、自分は所詮、
ただの一枚の木の葉だ、と思えば、
ものすご~く気が楽になります。
あなたは花ではなく、
木の葉として生まれてきたのですから、
あなたは、あなたの木の葉としての役割を果たせば、
それだけで十分、生きる価値があるのです。
皆さんには、皆さんの、
それぞれの「持ち場」というものがありますよ、
ということですね。
僕、この「持ち場」という言葉、
ものすご~く好きです。
会社員には会社員の、
消防士には消防士の、
社長には社長の、
主婦の方には主婦としての、
それぞれの「持ち場」というものがあるのです。
あなたがその「持ち場」を離れた時に、
困る人は、必ずいます。
もし、私がこの持ち場を離れても困る人はいない、
ということでしたら、
その持ち場はさっさと他の人に譲って、
自分をもっと生かせる「持ち場」というものを探した方が幸せになれますよ。
なぜなら、
これもしょっちゅういろんなところに書いてますが、
人というのは、
「自分は人様のために生きている」
と思えて、
人様から、ありがとうございます、と感謝された時に、
一番自分の存在意義というものを実感できて、
生きている幸せを感じることができるからです。
これが木の葉と人間の違いである、とも言えるかもしれません。
木の葉は自分の存在意義など考えないでしょうから、
恐らく自分の存在意義というものに悩むこともないでしょう。
ですが人間には考える能力があるがゆえに、
自分の存在意義というものを、つい考えてしまうし、
そこに意義を見出せないと苦しみを感じる人もいます。
ならば、自分の存在意義というものを、
自分で作っていくしかないのではないでしょうか。
そして自分の存在意義というものを一番実感できるのは、
他の人から、
「あなたがいてくれて、ありがとう」
と言われることなのです。
僕が、人様のために役に立てる生き方とは何かを考えましょうね、
と、いつも言うのは、
そのような理由からです。
そしてもし、この記事を読んでいる人の中に、
死んでしまいたい、と思っている人がいたとしたら、
もし自分が死んだら、悲しむ人のことを想像してみてください。
あなたが生きていれば、その人は悲しまずにすみます。
人を悲しませない、というだけで、
あなたには十分、生きる価値があるのです。
むしろ、それ以上の存在意義なんて、必要ですか?
とすら、僕は思います。
宇宙には、「輪廻転生」という、大きな法則があります。
その法則はあまりに深淵なので、僕らにはとても理解しきれるものではありませんが、
この世にこうして生まれてきたということは、
僕らも、この宇宙の法則に従って生まれてきたのですよ、ということです。
宇宙の法則をすべて理解する必要などありません。
ただ僕らは、宇宙の法則に従って生きる、
それだけで、十分宇宙が僕らに求めるものに従っているんじゃないか…
なら人生なんて、それ以上でもそれ以下でもないし、
そこに意味を求めても、どうせ宇宙の法則の全貌なんて理解できないんだから、
ならばできるだけ、毎日明るく、楽しいことを考えながら、
のんびりと人生を楽しんでいけばいんじゃねーの…
と、僕は思うのです。
てな感じで、
どういう風に人生を捉えれば、
もっと楽に人生を送ることができるか?
なんてことも、
僕のメルマガ記事にはたくさん書いてますので、
もっと毎日を充実させたい、そのための考えるヒントが欲しい、
と思う方は、
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それではアディオス!!
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