Manabus Column

路地裏から尾根道を行く

三笠を見に

2011-05-08 | Weblog

先日、横須賀に行ってきた。

横須賀と言えば、ずっと前に三浦半島に釣りに行ったときに、健康ランドに泊まった記憶があった。

それに子供の時に、親に連れられてちょろちょろっと行った記憶もありが、まるっきり忘れてしまった。

どぶ板通りなどの商店等は、米軍の兵隊さんたちが昔程利用しなくなったのか、ちょっと寂れた感じがまた趣があって悪くない。

何となく郷愁をそそるが、まあ目的は何と言っても戦艦三笠を見ることだった。

 

日露戦争で活躍した三笠だが、当時の日本はまだ小さい船しか造る能力が無かったが為、実はイギリス製なのだ。

しかも、日本海海戦で圧勝した日本だが、その後の惨事と言うか珍事で(なんと港に泊まっていた三笠は事故で爆薬庫が爆発した)、沈んでしまったのだった。

何とか引きあげられた三笠はその後修復されたは良いが、後に甲板にダンスホールや水族館などが出来たりとまったく過去の栄光など関係無く散々な道を辿ってしまう。

これを見たイギリス人のジョンルービンという人は怒って(或いは嘆いて)それを訴え、これが切っ掛けとなり今日ある姿の記念艦として復元する方向へと向かうのだった。

三笠の歴史も色々あったのだなあと思う。

まあ、とにかく継ぎはぎだらけかもしれないが復元されて良かったよかった。

 

 

全体像をドーンと撮りたかったが、次の日がカレーフェスティバルというイベントをやるそうで、その為広場は紅白のテントが設営されてあったのでそれが邪魔になってしまった。

500円払うと、船の中に入場できる。

砲台のハンドルをクルクル回すことができるし、艦橋にも立てるし(高所恐怖症の人はちと怖かも)、司令長官室や艦長室などの調度品がある部屋も見ることができる。

当時は、例えば砲兵などの一般兵は、その砲台室にハンモックを吊りそこで衣食住したり(それでも砲兵は憧れの的だった)、便所なんかはプライバシーが無かったりと結構過酷な生活だった様だ。

それに比べ、長官や幕僚達は、さすがイギリス製だけあってモダンな部屋で寝泊まりし、トイレや風呂も個室だし食事もナイフやフォークを使ってたのだった。

 

本当は、もっともっとディープなエンジンや主砲の機械的な部分を見たかったのだが、それでも色々見れたので良しとする。

 

因みに、おふくろの味”肉じゃが”は、この当時出来た物だった。

東郷平八郎が「英国のカレーが食べたい」と料理長に作らせたものが最初の”肉じゃが”だった。

もちろん料理長はカレーなんか食べたことが無かったから(あったとしても材料が無かったのだろうか)、それが限界だったのかもしれない。

そのカレーも、イギリスの手本をしてた日本海軍であったが為、自然とカレーを食すようになった。

それが横須賀名物の海軍カレーとなるのだが、僕はお土産屋さんでその海軍カレーのレトルトを買ってみた。

450円と結構高かったので、普通のレトルトカレーと同じだったら残念だなあと思っていたら、これが実に美味かった。

当時の海軍たちは、こんな美味いカレーを食べていた訳ではないのかもしれないが、カレーはその時から人気メニューだったそうだ。

 

そう言った部分を見ても、歴史は面白いなあと思う。


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