素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

人種とは・日本人の昔を探る(13):中本博皓

2020年07月18日 16時10分48秒 | 人種とは・日本人の昔を探る

    人種とは・日本人の昔を探る(13)

 

 

 日本人の昔を探る(その1)

 旧石器時代人とは(中の2)

 わが国では、旧石器時代といいましても、そんなに遠い、遠い太古の昔の話と言うわけではありません。専門家の先生方が書いておられる文献を読みましても、後期更新世の後半(凡そ3万年前後の昔)くらいです。

 昨年(2019)行われました国立科学博物館人類史研究グループ長の海部陽介さんのプロジェクトを前提にしましても、日本列島人の起源は約3万年前頃を考えているようですし、いろいろ調べて見ましても、日本列島に人が住むようになったのは、今から4万年前から3万年前頃と考えて良さそうです。

 その当時、旧石器時代人(新人:通説では、現在の人類と知能・身体がほぼ共通する人類。クロマニョン人など更新世後期の化石現生人類および現在のわれわれを含む人類を総称しており、ホモ‐サピエンスであると考えられます。)の生活は、大型草食動物の狩りや木の実などを採集して暮らしていたとみられています。

 後述しますが、彼らもまたホモ・サピエンス(知恵の人)であったということは、大変大切なことなのです。

 氷河期の中でも、気候の変動が厳しかった最終氷期最寒期の頃だったと考えられます。ユーラシア大陸のシベリア地方からサハリンを通り、当時は地続きの北海道に渡来してきた大型の哺乳動物マンモスゾウやバイソンなどを追いながら人間もやって来たと考えられていますし、南の方からもゾウなど大型動物とともに列島にやって来た渡来人がいたことが分かっています。

 上述しましたように、わが国にも、旧石器時代が存在したことについては、戦後のことですが、考古学的には相澤忠洋、芹沢長介らの研究成果から明らかにされています。

 この時代は、まだ、土器は作られておらず、旧石器時代を認めない専門家の中には、無土器時代とか先土器時代(せんどき じだい)とも呼んでいたようですが、わたしはその言葉は余り意味のあるものとは考えていません。

 ところで、彼ら旧石器人の生業は、「狩猟・採集」と言うことですから、日本列島の位置関係で狩猟の対象となった動物には違いはあったと思いますが、マンモスゾウ、ナウマンゾウ、ヤベオオツノジカ、そしてバイソンなど、狩人の大物狙いが常識だったようです。それは、発掘されている様々な大動物の化石や狩猟具によっても明らかなのです。

 旧石器時代人の住居のつくりはごく簡素なものだったと推測されています。雨露を凌ぐ程度のもので、多くが洞窟などを利用していたと考えられます。後期更新世の末期(1万数千年前頃)になりますと、獲物を追って移動する暮らしから、徐々に一か所に留まって暮らし方へと切り替わっていたようです。一部には、家畜や作物を育てる生業が始まりかけていたかも知れないのです。

 そもそも、旧石器人は、一つの場所に留まるという生活形態はなく、獲物を追って移動し、その場その場で狩猟し、木の実の類を採集して食べていたと考えられますが、土器をもっていなかった時代に、どんぐりや山菜のあく抜きの技術があったのかどうか、難しい問題です。 

 とくに、中尾佐助『栽植植物と農耕の起源』(岩波新書、1966)、アルフォンズ・ドゥ・カンドルの『栽植植物の起源』(岩波文庫、1953)などによりますと、トマトやイモ類など野生種の原種のような植物が自生していた可能性も考えられます。ただ、旧石器時代人の遺跡が多く残る台地上にはほとんど「植物化石」は残っていないことが考古学上の研究からは明らかにされています。

 しかし、旧石器時代には川だったと考えられる場所や谷、たとえば谷川が流れていたであろう場所には、地中に埋まってしまってからも地下水が多いので植物が分解されずに残っているため、当時そこにあった木の根株や枝葉、種実などの「植物化石」が発見された例はあるようです。

 氷河から流れ出した谷川の冷たい流水で晒し、あく抜きをして食していたのではないか、と推測することは可能です。彼らはホモ・サピエンスですから、脳の大きさも1300~1500グラム位あったようですし、「日本の旧石器時代の人骨」(『群馬県立自然史博物館研究報告』(4)、2000)などを調べて見ますと、大腿骨などしっかりしております。

 旧石器時代だからと言って石器にだけ拘ってはならないと思うのです。皮をなめす技術があり、袋に木の実をいれて流水で晒すという知恵はあったのではないかと推測出来なくはないのです。

 ほんの一部の論文しか目を通していませんが、石器に付着したでんぷん粒の化学的な検出に成功している例について読んだことがあります。野生のイモ類など塊根植物を採取して石器を使って砕き、こねて火で焼く技術と言うか知恵はあったことでしょうし、技術も持っていたのではないか、旧石器人なりの食べることへの執念と言いますか、知恵は発達していたのではないか、と素人なりに推測しています。

 なぜ、わたしがこうした推測をするかと言いますと、それなりの理由があるからです。たとえば、米国のミズーリ大学の心理学者デビッド・ギアリー(David Geary)教授によりますと、3万年前頃に原因不明の絶滅をした現生人類のネアンデルタール人の脳は、いま生きている現生人類よりも大きかった、ということです。

 また、1万7000年ほど前にラスコー洞窟(フランスの西南部ドルドーニュ県のヴェゼール渓谷)の壁画を残したホモ・サピエンスに属するクロマニヨン人の脳も、われわれ現代人の脳よりも大きかった、というのです。

 旧石器時代のような厳しい環境の中で生きて行くためには、大きな脳が必要で、いろいろと知恵を使って生きていたものと考えられます。しかし、現代の文明社会の中では、さまざまな情報が容易く得られますから、3万年前の旧石器時代人の脳より小さくても生きられるのではないかという科学者もいます。

(次回に続く)

 

 



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