ホワイトアウトによる北海道での痛ましい災害、
この報道を見るにつけ、大自然の恐ろしさをあらためて知らされました。
僕は若い時、冬山登山をやっていました。
その時、経験したのが冬の北アルプスや谷川岳での荒天候です。
それはそれは凄まじいものです。
もう、地吹雪でゴーグルをかけていなかったならが目を開けていられないくらいの
雪の粒が顔に当たり、また、体温を急激に奪われていきます。
視界はゼロ、こうなったら緊急避難しかありません。
国境稜線では隠れるところもなく、強風で雪が飛ばされ、凍った地面が
むき出しになってしまいます。
それでもハイマツがあればその中に穴を掘って避難することができますがなければOUTです。
谷川岳では最後の手段として谷側にせり出した雪庇の根元に穴を掘り、
いつ崩れ落ちても落ちないように稜線上にピッケルを打ち込んでおいて体を確保したものです。
僕は山を始めるに当たり、過去の先駆者たちの遭難の記録をたくさん読みましたし、
天気図を書いたり、観天望気と常にその後の天気の変化との関係を検証していました。
いざ、自分たちにそういう天候がおそってきたとき、どういう対処をするかが
とっさに判断できるようになります。
時には死を覚悟して、最善の判断をすることもありましたが幸い、
事故になることなく現在に至っております。
死を覚悟したときは心が無になり、守護霊様の守護、インスピレーションを受け、
判断、行動していたように思えます。
北海道は緯度の関係などで北アルプスの3000mと厳しさと変わらない、
今回の悪天候は僕が遭遇した冬山で悪天候以上、それはそれは激しいものだったとおもいます。
長々と書きましたが何を言いたいかと申しますと
問題は、人々が文明、車社会のなであまりにも防衛能力(危機管理)をなくしてしまっていると
いうことです。
しかも、自然に対する驚異、畏敬の念がなくなってしまっているということです。
今回、亡くなられた方々のことを言っているのではなく、日本人全体に言えることではないでしょうか。
人間が生かされている存在であるということを忘れ、自己中心的に生きているからです。
東北の大地震、大津波然り、原発事故然りです。
なのに人々は事故検証するだけ、
原発は危ないからゼロ主張(さくじつ、きょうと原発ゼロのデモが行われています)
こんなのは何も分かっていないのですね、
本当に肉親や友人、子供たちの未来に愛をもっているならばこの自己中を
改めなければなりません。
大自然への畏敬の念、大自然を創造され人間を創造され、万物の生命を創造され、
宇宙をも地球をも作られた大いなる創造主、神に対する畏敬の念、
すなわち信仰を取り戻すことこそが日本人がやらなければならないことなのです。
全国で「信仰を取り戻そう!!」とやるのが本来の正しい行動です。
作家の大井健三郎氏が東京での原発反対デモに参加していますが
ノーベルが泣いているのではないでしょうか・・。
山の話の中で書きましたが「過去の痛ましい記録の中から教訓を学び、今後に活かす・・」
これは真理です。
感情論にとらわれることなく、今回亡くなられた方々の中に光る愛の教訓を発見することが
真の意味での供養になるのではと思っています。
今回の北海道での痛ましい事故はそれのみにとどまらず
3.11を迎えるすべての日本人に 真なる教訓を学び取りなさい!という
「日本の神々様の声」が託されているのではないでしょうか。。 かめぱぱ