吉田統合研究所の吉田一敏所長の本を読み、たいへん感銘を受けたのですが、
それからというもの、
スピリチュアルの探求にすっかり興味がなくなってしまいました。
プルシャという、今まで神と呼ばれてきた、一なる存在が
実は、私が子供の頃から知っていたはずの、それであるとわかったからです。
吉田所長の見解は、私の知っている(でも、いつのまにか忘れていた)それに、何より近かった。
というより、そのものであったようです。
プルシャはただ経験がしたい。
ただそれだけ。
善とか悪とかの二元もない。
どんな体験も楽しんでいる。
それは最近、巷のスピでちらほら聞くようになってきた教えであるかもしれないけれど、
吉田氏の話や解説が一番腑に落ち、深く納得しました。
そして、とてもラクになれました。
そして、なぜこの人はこんなことがわかったのだろう。
と思うわけです。
吉田所長いわく、アンドロメダ人に教えてもらったとか。
それについてはわかりませんけれど(笑)、高次の存在ということでしょうか。
そういえば、ホ・オポノポノのヒューレン博士も、クリーニング方法を
宇宙人から教えてもらったと聞いたことがあります。
高次の存在というものは、時として誰かを通じ、
大切な何かを伝えることがあるのかもしれません。
吉田所長いわく、「私たちは様々なスピリチュアルの教えに対して
審神者(サニワ)でなくてはならない」。
現在、数多のスピリチュアル情報が出回っていますが、
こんなにも、真実を見極める能力を持つことが求められている時代はないのかもしれません。
高次の存在、それ以外の存在、エゴなど、精神世界には様々な情報元があるのではないでしょうか。
そしてまた、高次といえども段階があり(高いから良いとかそうゆうことではなく)、
教えたり、指導したりするのが妙に好きな、指導症候群のマスターもいるようで・・・
「愛しなさい」「ポジティブに生きなさい」「ワクワクしてなさい」「進化しなさい」といった
チャネリングに登場するような存在達などには、指導症候群が多そうです。
(ちなみに、これは以前読んだ森田健さんの本にあった見解ですが ↑ )
それらは、人生のどこかで出会う教えかもしれません。
引き寄せもそうだけれど、思考が現実化するといった前向き系や、
闇を否定し、光だけを求めるスピは、通過儀礼。
いつか、超えなくてはならないものだと感じます。
いえ、超える時には、超えるものでしょうか。
そしてまた、
吉田氏の本さえ、もうそんなに何度も読まなくていいと感じます。
そこにとらわれすぎることもまた違うと感じるからです。
何か迷った時に開く、リマインダーでよいのだと。
話がそれましたが、
そんなこんなで、スピリチュアルの探求はもうおしまい。
それでは、解散!なのです。笑