天空のフラスコ

<覚え書き.dot>

ざざっと流れのまま

2021年11月27日 | 日記

 

年間スケジュール手帳には、巻末にメモのページが多めにあるのだけど、

毎年活用できず、何となく持て余していました。

 

なので、今年は買った本や、読んだ本、視聴して感銘を受けた動画などを

全て、そこに書き残すようにしました。

 

今、その一連を見てみると、なかなか面白い。というか、

この11ヶ月間に、多様な情報に触れていることが改めてわかり、

その時どきの、自分の心境を思い出したりもします。

 

また、年初の頃と最近では、興味の対象がずいぶん変わったな~とも気づきます。

とはいえ、一貫性とまでは言わないけれど、

→○→○→○→○→ といった、「興味の芋づる式」というのか、

何らかの意識の流れ、というものがあるようだなぁーと感じます。

 

 

ちなみに、今年一番に好奇心を刺激されていたのは、8月、9月。

グレゴリー・サリバンさんや、ジュリアン・サムルワさんの本、

または、サアラさんの動画などなど、

宇宙系のスピリチュアルがたけなわ~。私的には、まさに宇宙祭りでした。

 

グレゴリーさん繋がりで、スティーブン・グリア博士のドキュメンタリー映画

「シリウス」と「第5種接近遭遇」も視聴しました。

観た後、胸がザワザワするような衝撃的な内容で、

グリア氏の最新著書「世界最大の秘密の暴露」も購入しました。

が、これは、まだパラパラとしか開いていません。

 

ディスクロージャー系は、今までほとんど縁がなかったので

いろいろと新鮮。そして、それを間口として、

スピリチュアルや見えない世界に繋がっていく過程も逆にあるのかなと思いました。

男性などは少なからず、そうゆう人もいるのかもしれませんね。

 

「スターシード」という言葉を意識したのも、やはりその頃。

Starseed Kuさんのブログなんかも興味深く読ませてもらいました。

この方の場合、非二元と宇宙系という、かけ離れた概念を

うまく融合? 使い分け?しておられる感じが、すごく参考になりました。

真実をどちらかに決める必要はないんだ~!という、目から鱗的な・・発見。

 

ちなみに、11月現在、

ディヴィッド・アイクの「今知っておくべき重大なはかりごと1」を

少しずつ読み進めています。

 

アイクさんの本はずっと以前に「ムーンマトリックス」を何巻か読んだけれど、

とても信じきれない思いで、ブックオフに売ってしまいました、苦笑。

( 常識が覆るような斬新な内容にワクワクしたことも、確か・・・)

 

今になって、また彼の本を読みたくなり購入したけれど、

その感想なども、また書けたら・・・と思います。

 

 


意識は創造する。

2021年11月22日 | 超常現象?

これは、今年の2月末に、家のベランダから撮った写真です。

ふいに、太陽に呼ばれた気がして、ケータイでパシャリ。

すると、このような変わった光が映り込んだ。

 

「これは何なん?」と今でも解せない。

単なる、レンズのハレーションの一言で片づけてもいいんだけど。。

しかし、今回、一つの「仮説」を立ててみることにします。

 

 

それはそうと、

この写真を撮ってから、実に不思議なことが立て続けに起こった。

 

・数日探していた失せ物が、突然、自分の足元にあった。

 (そこは寝室で、足の踏み場だし、何度も見ているような場所)

 

・朝7時に合わせている目覚まし時計が、不意に、19時に鳴った。

(デジタル電波時計なので、7時と19時の両方表示があるにも関わらず)

 

・その翌日、もう1個の目覚まし時計が、急に鳴り出した。

(普段、目覚まし機能は使用せず、OFFにしていた!!)

 

さすがに、「気持ち悪すぎっ!」と思い、

この写真からは、意識を外すことにしました。

 

これを撮ってから、「別次元の宇宙船が偶然、写り込んでいるのでは?」とか

「青だから、シリウス系?」「青円盤の下のところには、宇宙語?」とか、

並々ならぬ関心(意識)も寄せていましたし。。

写真と不思議事件が関連していることは、間違いないでしょう。

 

けど、こーんな悪ふざけみたいなコト(時計等の件)されるなんて、

宇宙系というより、低級霊のイタズラかも・・・キモッ。

と思ったので、もうすっかり意識から外すことにしたのです。

 

そしたら、それっきり、変テコなことは起こらなくなりました。

 

意識の焦点を当てると、それは大きくなるし、

意識の焦点から逸らすと、それは消失してしまう。

私なりのエビデンスになったかも。

 

そういえば、

この写真だって、意識の創造の力だと考えられます。

 

実は、写真を撮る前夜のこと、

とあるスピ系の女性の動画のアーカイブを見ていて、

その人がライブコラボした、スピ系のおじさまが、

こうゆう写真(神社とか空に不思議な光が映り込んだやつ)を

たくさん公開されていて、「こんなの撮れたらいいな」と興味を持ったのです。

 

そして、翌日の午前、ベランダから外を眺めたとき、天気も良く、

何となく、シャッターを押してみた。その結果でした。

 

おそらく、これは自分の創造に違いありません。

一連の不思議な出来事も含めて、ぜんぶ自作自演なのかもしれません。

 

意識はそれくらいのこと、やっちゃうのではないでしょうか。

そして、それは、自分の中に「不思議な体験がしたい!」

という思い(意図)があったから・・・。

意識的にせよ、無意識的にせよ・・・。

 

でも、たぶん私は怖がりなので、いざ不思議なことが続くと、

楽しむどころか、「頭がおかしくなる~。もう、この経験はこれで十分~!」

と、この創造を途中で封印してしまった。

そうゆうことではないかと思うのです (仮説完了)。

 

ちなみに、こうゆうの敏感な方で、何か感じることがあれば

コメントお願いいたします (*・ω・)*_ _)ペコリ

 

 

 


ノンシャランでいこ~

2021年11月13日 | 日記

ある日、何の脈略もなく、

「ノンシャラン」という言葉が気になり始めた。

 

「ノンシャラ~ン」。音が、頭の中で勝手に響く。

その度に、何だか気持ちがいい。

 

シュワシュワ~と、泡がはじけるような。

あるいは、爽やかな風がす~っと通りすぎた後みたいな。

 

でも、

 

ノンシャランって、どうゆう意味?

たぶん今まで使ったことないし、他人の会話の中でも聞いたことがない。

 

本かテレビか、何かでの・・・聞きかじり的な言葉。

フランス語っぽいけど、昭和か大正時代の、流行語みたいでもある。

 

ネットで調べてみたところ、

やっぱり「non-chalant」という仏語でした。

 

「無頓着で、のんきな様」、

あるいは、「物事にこだわらない」という意味。

反面、「投げやり」「ものぐさ」などのネガティブイメージも。

 

つまり、肩に力が入ってなくて、大げさに構えない感じ。

熱量が少なく、平然とした雰囲気。

のほほんとした感じ。

 

あれ?

 

これって、「るきさん」の性格、そのままかも~。

『るきさん』は、ちくま文庫のマンガ。著者は高野文子さん。

 

30代ぐらいの独身女性、るきさんの日常が描かれているのだけど、

のんびりマイペースで、肩肘張らぬ彼女の言動は、可笑しくも魅力的。

「ギャハハ」というより、「ニマニマ」してしまう。

そして、気負いや、余計な力みを抜いてくれる。

 

「まあ、そんなに汲々としなくても~」

「テキトー、テキトー。何とかなる~」

「うふふ、楽しく生きたもん勝ちヨ~」

とでも教えてくれるように、クソ真面目さや、型にハマった思考を溶かしてくれる。

あくせくしていることが、なんだか馬鹿らしく思えてくる。

 

そんな、最近読んだ『るきさん 』が、「ノンシャラン」とシンクロ。

そして、そうゆう生き方は、

風の時代に、とってもふさわしい気がする。

 

湿っぽくなったり、常識にとらわれそうな時には、心の中で唱えてみたい。

「ノンシャラ~ン」。

 

 

 

 


スピ系の断捨離ができた話

2021年11月08日 | にわかクリスチャン

前回の話 の続きです。

キリスト教を通過した意義が、もう一つありました。

なので、ここに追加しておきます。

 

教会に行ってたわけではありませんが、

独学で私が半年間、学んでいたのは、プロテスタントのキリスト教でした。

 

それは、イエス・キリストへの信仰以外は、全て偶像崇拝だったり、

サタン的な惑わしだったりするので、離れるべき・・・という方向性なのです。

でないと、信仰の足を引っ張られ、神につながれないというわけです。

 

たとえば、過去のスピリチュアル(オカルトとされる)への関与とか、

人・物・ペットなどへの過度の愛着(偶像崇拝)とか、

占いなども禁止されています。

 

なので、いったん、全部捨てなきゃ、、と私も考えました。

 

部屋にある、何十冊かのスピリチュアル本や、占星術の本、顔相の本、

タロットカード、パワーストーン、御守り・・・もろもろ

それらが見るからに、いかがわしい物に見えたのです。

 

 

そして、思い切って、それらを捨てたことで、随分スッキリしました。

それまで、多少、スピ本のジプシー傾向にあったのですが、

手放したことで、頭の中が空っぽになり、大いにリセットされた感がありました。

 

捨てるのが楽しくなって、昔の日記帳とかノート類、細々したアイテムとかも

この際、ポイポイ処分しました。

 

今まで、ある程度の断捨離をしたことはありましたが、

そこまで大胆に捨てたのは、生まれて初めてだったかも~。

しかも、抵抗も未練もなく。。

 

これは、排他的なキリスト教の荒療治のおかげとも言えましょう。

結果的に、良いキッカケになったと思います。

 

いつのまにやら、中途半端に心の中に蓄積し、ゴチャゴチャしていたスピ類が一掃され、

その空いたスペースに、心外にもキリスト教がガッチリ入ることなく、

その後、スーッと噓のように抜けてしまった。

つまり、自由と微量の切なさが混じり合ったような、新しい心境とスペースを手に入れたのでした。

 

 


キリスト教を通過した意味

2021年11月06日 | にわかクリスチャン

2020年の3月前後から、

コロナ禍というか「コロナ騒ぎ」が始まったと思うけど、

私もその頃から、いろんなことを考えたり、感じたりしました。

 

いわゆる陰謀論も含めて、さまざまな情報を集めたり、疑ったり、検討したり。

そして、スピリチュアル的には、何が起こっているのだろう~と。

 

実は、2019年は、非二元系のスピリチュアルに興味を持っていたのですが、

それだけでは、到底乗り越えられないし、把握できない状況。

 

世界は内なる心の鏡とはいえ、明らかに私のあずかり知らないところで、

なんか大きなことが起こってる。それを知りたいと思いました。

 

そんな折、YouTube では、「ヨハネの黙示録」等の動画が次々と上がっていて、

観ている内に、まさに今、聖書通りの出来事が世界で起こっているーと

思ったわけです。

 

あと、フラットアース説なんかも、時々ネットで観たりして、

聖書に書いてあることはお伽話なんかではなく、真実なのかもしれないと。

なので、聖書を購入し、読んでみることにしました。

 

同時に、聖書の解説チャンネルやら、海外のクリスチャンの話を

翻訳されたチャンネルやらも観て、自分なりに勉強・研究しました。

 

特に、「リーハイバレージャパニーズミニストリーズ 」さん等の動画は、

奇跡や預言話が多くて、異端な感じでかなり面白かった~。

 

そうこうしている間に、洗礼は受けた方がよいのかなと思いました。

半ば本気で、クリスチャンになろうかとも考え始めたわけです。

 

しかし、学び始めて半年。

2021年、新年が明けて、まもなく、

どうゆうわけか、その熱が急速にさめてしまいました。

つまり、にわかクリスチャンだった私。。。

 

もともと、飽き性というのもあるのだけど、

「何か一つに縛られるのは嫌」という、性格が功を奏した?というのでしょうか。

 

イエス・キリストは好きだったのです。

深く興味もありました。

その行いに、涙を流したこともありました(映画や動画で)。

ハートチャクラが開かれる波動を感じます。

 

けれど、キリスト教という宗教を100% 受け入れられない。

とても排他的で、神とサタン、その二元的な心髄が・・・

(たとえば、ニューエイジやヨガなどは、全てサタンが作ったとか、

 宇宙人は実は悪魔であるとか・・・)。

 

あるいは、終末時代にイエスが携挙しにやってくるというストーリーや、

天国と地獄の概念が、どうしても信じられない。

 

また、キリスト教にとって不都合な内容(イエスはエッセネ派に属していたとか、

死海文書の内容など)も知り、聖書は人心をコントロールするためなどに、

どうやら改ざんされていることにも気づかされました。

 

 

とはいえ、

半年間、キリスト教を学んだことは、とても意義深かったと思います。

世界の多くの人が信じている宗教を知り、未知が既知になり、知識もつきました。

 

また、イエス・キリスト(キリスト意識)が、今もって「真理」の扉を開く、

キーパーソンの一人であることは間違いないと思うので、

お近づきになれたことは、とてもよかった。

 

そして最近、感じることは、

スピリチュアルにも時代性というか、進化の順序があり、

過去からのさまざまな宗教や教え、先人たちの求道の土台の上に、

あるいは、それらの流れの先端に、今の精神世界があるということ(もちろん玉石混交で)

 

キリスト教の時代、約2000年間は魚座の時代。

そして、今は水瓶座の時代。

めぐり巡っていく天体のように、何かしらの大きな意図のもとで、

全ては循環しながらも、スパイラル運動によって前進していってると、

そう思うのです。