天空のフラスコ

<覚え書き.dot>

スピ系の断捨離ができた話

2021年11月08日 | にわかクリスチャン

前回の話 の続きです。

キリスト教を通過した意義が、もう一つありました。

なので、ここに追加しておきます。

 

教会に行ってたわけではありませんが、

独学で私が半年間、学んでいたのは、プロテスタントのキリスト教でした。

 

それは、イエス・キリストへの信仰以外は、全て偶像崇拝だったり、

サタン的な惑わしだったりするので、離れるべき・・・という方向性なのです。

でないと、信仰の足を引っ張られ、神につながれないというわけです。

 

たとえば、過去のスピリチュアル(オカルトとされる)への関与とか、

人・物・ペットなどへの過度の愛着(偶像崇拝)とか、

占いなども禁止されています。

 

なので、いったん、全部捨てなきゃ、、と私も考えました。

 

部屋にある、何十冊かのスピリチュアル本や、占星術の本、顔相の本、

タロットカード、パワーストーン、御守り・・・もろもろ

それらが見るからに、いかがわしい物に見えたのです。

 

 

そして、思い切って、それらを捨てたことで、随分スッキリしました。

それまで、多少、スピ本のジプシー傾向にあったのですが、

手放したことで、頭の中が空っぽになり、大いにリセットされた感がありました。

 

捨てるのが楽しくなって、昔の日記帳とかノート類、細々したアイテムとかも

この際、ポイポイ処分しました。

 

今まで、ある程度の断捨離をしたことはありましたが、

そこまで大胆に捨てたのは、生まれて初めてだったかも~。

しかも、抵抗も未練もなく。。

 

これは、排他的なキリスト教の荒療治のおかげとも言えましょう。

結果的に、良いキッカケになったと思います。

 

いつのまにやら、中途半端に心の中に蓄積し、ゴチャゴチャしていたスピ類が一掃され、

その空いたスペースに、心外にもキリスト教がガッチリ入ることなく、

その後、スーッと噓のように抜けてしまった。

つまり、自由と微量の切なさが混じり合ったような、新しい心境とスペースを手に入れたのでした。