最近不穏なニュースが途絶えませんね。
ニュースはそういったものだから仕方ないのかもしれませんが。
それに対するコメントもあまりにも暗く重い言葉の羅列…
けどそのニュースを見て誰もが一度は思うのではないか"こういうことが起きたら怖いね"とか
まるで自分には関係ないような振る舞いや言葉。
もしかしたら自分の身に起きてもおかしくないと人間はあまり考えません。
大きなデモが起きていても自分は参加しないから関係ない。そんなことをしても意味はない。とか
そんな場所には自分は絶対に行かないからこんな事件に巻き込まれるわけ時はない。
犯罪を犯した人に対して、こんな人とつながりをもっていないから私はこんな事件には巻き込まれない大丈夫。
あぁ、この場にいた人が可哀想だ。と思うだけ。数日後には忘れます。
それは自分の身にも起きることなのだと理解すれば一つ一つのニュースや出来事の見方が変わってくるのではないかと思えます。
虐めなど問題でよく言われますが"見て見ぬふりをしている人たちも加害者だ"と。
私もそう思います。
ただ勘違いしてほしくない。
全ての物事に対してすべての人がなにかをできるわけじゃない。
もし、あるニュースや出来事を見て聞いて感じたのなら何かできることはないかと、スマホなどで探してみるのは一歩だと思います。
そこでなにもできることがなくても、調べて何かをしようとしたそれだけでなにか変わってくると思います。
人の社会は言葉の通り人が動けば変化していき、より良いものに変化していくと思うのです。
皆が皆辛い未来を求めて生きてるわけじゃないと思います…
ただ最近は本当に未来が見えなくて、どうしていいかわからない人が増えてるように感じてなりません。
崩れ落ちてしまった人への差し伸べられる手はあまりにも少なくて、国も人もあまりにも冷め切っている。
今後もそんなことが続いていけばもっと今の日本はひどい状況になるのではないかと感じてなりません…
最近特に自分にできることは何なのだろうか…もっとできることがあるんじゃないのかと焦りすら出てきてしまいます。
仕事をしながら思いついたら調べて、考えて時間ができれば行動して。
私は変わっているんでしょうかね笑
けど人と人が全く一緒ということはない。
変わっていることが普通で変わっていないことが異常だと思うようにしています。
1人1人ができることは小さく無力に近い。
ただ一人一人の行動で何かが変わっていくのは確かだとおもいます。
変化は少しづつなので感じるものではないと思います。
ただ自分が大人になったりお年寄りになったとき、自分の孫や子供にその変化が伝わっていた時きっとやりがいを感じるでしょうね。
そうやって私は歳を取りたいと思う今日この頃です。