冬季五輪が始まりましたね。
めちゃくちゃ個人的な意見ですが…こんなことをしている場合なのか?と感じてなりません😇
東京オリンピックの時も同じような感じでした笑
東京五輪に関してはいつの間にか終わってましたね笑
選手の方々には罪はないし、頑張ってほしいとは思います。
ただオリンピック自体のその金メダルに、表彰にそれほどの価値があるのか…?と思えるようになりました。
私は小、中、高とソフトボールをしていました。
私が小学生の時ソフトボールがオリンピックで優勝したときの光景をいまだに覚えているし感動しました。
私がソフトボールをするきっかけにしてくれたものです。
オリンピックは子供たちに夢を与えてくれるものではあったと思います。
スポーツは、少しでもハマってやったことがある人ならわかると思いますが、プロやアマチュアは関係なく
チームでやるものならどんなに嫌いな人がいてもスポーツの中で共に協力してぶつかり合いながらも共に頑張れる協調性であったり、
個人競技なら自分を超え続ける気持ちを持ち続け、一人で戦い続ける忍耐力など…
そのつらいことすらも楽しみに変えてくれるものがスポーツや芸術、文化などなんじゃないかなと個人的に思っています。
しかし去年、一昨年はコロナウイルスで各学校では体育祭や文化祭、その他行事も中止になり思い出も作れなかった子供たちが多い中…
オリンピックが開催され、主に大人たちが盛り上がり…未来への希望という感じでもなく盛り上がりが欠けるものになったように思えます。
せっかくやるのならよいものにしてほしかったなぁっていう思いがあったので…
その瞬間から、あぁこの行事は得をする人たちの為にするものだったんだな…と大人になって気づかされたように思えます。
大人になったから見方が変わってしまったのか、それとも今の時期だからなのかはわかりませんが…
そして今回の冬季五輪には"ボイコット"が色んな国で行われている。
主に新疆ウイグル自治区やチベット、香港の人たちに対する人権問題ですよね。
まぁ日本でも外国人労働者に対してや、歴史を振り返ればどの口が言ってんだ!と他国から言われてもおかしくはないんですよね😂
アメリカでも黒人差別が解決どころが、最近ではアジア人の差別まで広がっているのにボイコットか…と思ってしまいました…
けど、人権問題に大きいも小さいも関係はないのは確かです。
人が人として生きているうえで保障されている権利が"人権"なので、死んでしまえば人権なんてものはほぼ存在がないようなもの。
ただそれを言い出すと言葉をしゃべれない猫や犬などの人ではない動物、ペットには権利はないのはなぜなのだろうとも思えてきます。
人の言葉をしゃべれないから人の都合で増やし、殺しを繰り返している。
人間とは改めて考えると考える力をもって、数が多いだけで非人道的と呼ばれるものを繰り返しているのに
自分たちは自分たちのルールの中で安全に生きようとする卑怯な生き物なのかもしれませんね…
じゃあ動物園に居るサルが飼育員さんと人の言葉を交わし自分も人だと言い始めたなら、サルは人とされるのか。
同じ目や鼻、腕、脚、指…備えているサルでも見た目がサルだと人が決めてしまえばサルには人権は適応されないのか…。
人同士でもあいつは人じゃないから人権なんかないとルールで決めたり言葉にすれば人ではなくなるのでしょうか…?
そんなことを考えてしまいます。
おっと話がそれてしまいました。悪い癖😮
人権問題については様々な意見やニュースが飛び交っていますね。
海外や日本でのメディアでは"ジェノサイド"が行われていると言われて、被害にあった人たちが被害を訴えている。(なぜ無事なんだと思いますがね…)
しかし日本にするウイグル族の人の所にはウイグル自治区で暮らす家族から平和で快適な日々を過ごしていると連絡が来たり
ウイグル自治区の幸せな光景がメディアによって公開されている…
海外と中国の主張は食い違いがでてきます。
ただそれは当たり前のことだとも感じます。(嘘か本当かは別の話で)
どんな物事でも、見ているとか聞いている、その当事者であっても感じ方はそれぞれだと思います。
同じものを見ていても同じ回答が得られることは人間の場合まず少ない。個々で"主観"というものは違いますから。
つまり、どちらの主張も"真実"なのでしょう。
しかし、幸せに生きている人たちがいる中で苦しんでいる人たちもいるということが"事実"としてある。
一昨年のブログで私は"性の暴力"という記事を書いていました。
性被害を訴える女性の番組を見た感想というかそういうものです。↓
https://blog.goo.ne.jp/free_one11/e/50debfb174f3e541dfb5fac4334cf414
働きたい。けど怖くて辛くて、自分がしたいこともできなくて。
それなのに加害者は前に進み普通に生活を送っている。
それが悔しくて悔しくて仕方がない。
この苦しみが嘘だと言うのか。
誰にも話せないことを勇気を出して嘘までついて喋ろうと思うのか?
お金も苦しくて、けど体がいうことを聞かなくて働けないこの現実が。
嘘だというのか。
ウイグル人の人で人権を侵害されたと訴える人も同じような気がします。
アメリカから金をもらって言わされているという人もいる。
CG技術が発達したこの世の中だからすべて映像は捏造だという人も。
多分すべての事実を知っているのは神様ぐらいかもしれません。
人同士が言い合ってもキリがない。
"事実"がある以上、それを否定することは嘘をつくということになると思います。
ただ今の世の中嘘をついたところでデメリットはまるでない。
なんなら今の世の中事実を告げた方がデメリットになるケースが多いと思います。
嘘を貫いても批判されたところで一時のこと、人は忘れる生き物なのでその場さえり過ごしてしまえばなんてことはない。
ルールもまた人が決めたものなのですよね…本来ルールとは自分たちを守る為にあるものだと思いますが…
最近ではそのルールを利用して悪を消し去るためのモノのように思えてきます。
平等や平和については一人一人が人の世を生きるのであれは人として生まれたなら考えるべきなのかなぁと思いつつ
そんな大層なことよりも、一人一人が幸せに生きていけるのならそれでいいんじゃないかとも思います。
ボイコットを行い多くの人が声を上げていますが、声を上げる人たちは自分の幸せの為にも声を上げているのだと思います。
日本に住むウイグル族の人たちは家族と連絡が取れない、どういう状況かわからないのに自分の幸せを感じることなんてできないでしょう。
国に帰れと言葉をかける人もいるでしょうが、それもそれで自分の幸せではないのでしょう。
どこに住み生きていくのも人一人一人の自由であり、幸せの在り方だと思いますから。
自分の幸せの為に障害があるのなら声を上げて変えたいと願う。
その行為自体悪いことだと思わないし、生きていくうえで当たり前のことだと思います。
そして五輪に出場する選手もまたいろんな思いで挑んでいると思います。
それが彼ら一人一人にとっての幸せの1つであるのなら頑張ってほしいと思います。
ただ応援するかしないかも個人の自由ですね。
こんな哲学的なことを考える20代前半最後の冬です😇
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