南北線の本駒込の2番出口から下りてすぐにある、諏訪山吉祥寺はもとは太田道灌が江戸城築城の折に、城中に開基されたお寺(1458年)。その後、現在の水道橋付近にうつり、現地に移ったの1657年明暦の大火のためとされる。漢学の学問所として栴檀林が置かれ、多数の学僧が集った。吉祥寺大仏は1722年鋳造の青銅製。
江戸時代には盛んに大仏の鋳造が行われ、現存するものも少なくない。東京都内の江戸時代現存大仏の中で天王寺大仏は大きなものといってよい。
九品寺大仏(1660年台東区 像高1.77m 総高2.61m)
瀧泉寺大仏(1683年目黒区 像高2.64m 総高3.69m)
天王寺大仏(1690年台東区 像高3.05m 総高3.83m)
吉祥寺大仏(1722年文京区 像高2.93m 総高4.17m)
江戸時代の鋳造大仏の研究(1)
江戸時代の鋳造大仏の研究(2)
以上のほかに、関東大震災で頭部が落ち、胴体部分も第二次大戦時に供出されたという上野大仏(1841年鋳造)は像高が6mほどあったとされる。
瀧泉寺大仏(1683年目黒区 像高2.64m 総高3.69m)
天王寺大仏(1690年台東区 像高3.05m 総高3.83m)
吉祥寺大仏(1722年文京区 像高2.93m 総高4.17m)
江戸時代の鋳造大仏の研究(1)
江戸時代の鋳造大仏の研究(2)
以上のほかに、関東大震災で頭部が落ち、胴体部分も第二次大戦時に供出されたという上野大仏(1841年鋳造)は像高が6mほどあったとされる。