
盛岡駅からでんでんむし号に乗って、7分ほどでしょうか。
盛岡城跡公園があり、隣接して櫻山神社があります。
江戸時代中期、盛岡藩第八代・南部利視により盛岡藩初代・信直の遺徳を偲び、盛岡城内淡路丸に神殿を建立、その神霊を勧請して「淡路丸大明神」と奉ったのに始まるそうで、主祭神は南部藩の藩主たち。
櫻山神社の御祭神

南部光行
南部信直
南部利直
南部利敬
南部信直
南部利直
南部利敬


手水舎
南部氏の家紋と、おもかげ地蔵尊、水神。


長寿院亀之助
手水舎の向かい側にいる亀さんの甲羅をこすることで長寿延命のご利益があります。


手水舎の向かい側にいる亀さんの甲羅をこすることで長寿延命のご利益があります。


烏帽子岩








烏帽子岩の裏手を上ると、盛岡城址公園の二の丸かな?つながってます。
公園からショートカットして降りようとしたら、冬季通行禁止でした。
盛岡城址公園

三戸から不来方(こずかた)の地に居城の移転を決定した南部信直(なんぶのぶなお:盛岡藩初代藩主)が、慶長2(1597)年に嫡子利直(としなお:2代藩主)を総奉行として築城を始めたのが盛岡城の始まりと伝えられています。
盛岡城跡公園 「日本の名城100選」「日本の歴史公園100選」

本丸天守台石垣
城の縄張りは豊臣家重臣の浅野長政の助言によるものといわれ、北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵上に本丸・二ノ丸・三ノ丸・淡路丸など曲輪を配し、それぞれに雄大な石垣を構築して内曲輪=御城内としているそうです。

石川啄木歌碑
「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」
歌碑がある「二ノ丸」は、啄木が学んだ中学校(現在の岩手銀行本店)のすぐ近くになるそうで、新渡戸稲造文学碑もあります。
新渡戸稲造文学碑
「願わくはわれ 太平洋の橋とならん」
盛岡城は、明治の廃藩置県の後明治5年に陸軍省所管となり、明治7年には内曲輪(御城内)の建物の大半が取り壊され、城内は荒廃。
その後、長岡安平(ながおかやすへい)の設計により岩手公園として整備され、市民の憩いの場と生まれ変わったそうです。
その後、長岡安平(ながおかやすへい)の設計により岩手公園として整備され、市民の憩いの場と生まれ変わったそうです。

本丸御殿跡


盛岡駅からでんでんむし号に乗りで、盛岡城跡公園前で降ります。
