1957年に箱根特急にSE車が登場して以来、特急ロマンスカーの利用者は増加を続け、週末にはSE車を全てフル稼働してもなお輸送力不足の状態となっていた。1959年以降は特急より安価な準特急を2300形・2320形によって運行していたが、1960年9月には箱根ロープウェイの全通によって「箱根ゴールデンコース」が形成され、さらに箱根への観光客は増加した。
1964年に東京オリンピックの開催を控えていることもあって、特急車のさらなる増備を求める声が上がるようになり、種々検討された結果、最終的には、「特急車両は企業の看板であり、斬新さと華やかさで乗客に夢を与えるものでないといけない」という考え方により、新形車両を製造することになり、1963年登場したのが小田急3100形電車である。
小田急の特急車両では初めて前面展望席を設けた車両で、 "New Super Express" (略して「NSE」)という愛称がつけられた。1964年には鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞している。編成は、11両連接車構造とし以後の新製される小田急ロマンスカーはこの編成を長らく踏襲した。2000年惜しまれつつ全編成が引退した。
模型は、マイクロエース製 さようなら編成
デハ3221
デハ3222
デハ3223
デハ3224
デハ3225
デハ3226
デハ3227
デハ3228
デハ3229
デハ3230
デハ3231
2016.07.22 N-0097
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます