JFK-World 世界の撮影・取材地トピック

Freelance Film Director
TV-CMおよびTVドキュメンタリー番組のディレクター & カメラマン

Baby's in Black ベイビーズ イン ブラック

2011年04月13日 | ヨーロッパ

1962年 4月13日にオープンした
「スター クラブ 」 のサインボード ・・
そこには、どこか寂しげに見える 『スチュアート・サトクリフ 』
の姿があります。 (向かって右端 )

実は、スチュアート・サトクリフは、前年1961年の6月頃
ビートルズを脱退しています。

何故この写真が使われたのかは不明です。


(スチュアート・サトクリフの作品 )
元々リバプールの美術学校で
ジョン・レノンと知り合ったスチュアート・サトクリフ ・・
絵の才能があった彼は、
音楽を続けることより画家になるための道を選択し、
ハンブルクの美術学校で勉強を始めました。





スチュアート・サトクリフは、1962年 4月10日、
恋人であり、すでに婚約していた
アストリット・キルヒヘアがいるハンブルクで、
突然の脳出血で亡くなりました。

注:上の写真手前が
  ハンブルクで演奏していた頃のスチュアート・サトクリフ
  もうひとりはジョージ・ハリソン
  下の写真中央がスチュアート・サトクリフ
  後ろはジョージ・ハリソン (向かって左 )
  ジョン・レノン (向かって右 )



病院に運ばれる救急車の中、アストリット・キルヒヘアの
腕に抱かれて息を引き取ったそうです。
(4月11日のブログ参照 )



ビートルズのメンバーが彼の死を知ったのは、
スター クラブでの演奏のために到着した
ハンブルクの空港でした。

1969年、ロンドンのハイドパークでのコンサート直前に、
やはりメンバー (ブライアン・ジョーンズ ) を亡くした
ローリング・ストーンズ ・・
同時期のイギリスを代表するふたつのグループに
共通する運命に、不思議な感覚を覚えます。
(3月 5日のブログ参照 )



1964年のアルバム 『For Sale フォー・セール 』 ・・
ハイドパークで撮影されたジャケットの写真で
彼らが巻いているマフラーは、
アストリット・キルヒヘアの手編みだそうです。

また、このアルバムの収録曲 『Baby's in Black 』 は、
アストリット・キルヒヘアに捧げた曲だといわれています。

その歌詞は、

『どうしてしまったのだろう ・・
 彼女は黒に包まれている ・・
 彼への想いからだろうか ・・
 彼はもう戻ってくることはないのに ・・ 』



写真家であったアストリット・キルヒヘアは黒が好きで、
いつも黒の服を着ていました。

また、彼女の部屋は、
壁からカーテン、その他家具のすべてが
黒で統一されていたという逸話も残っています。

いつか機会があれば、
アストリット・キルヒヘアにインタビューしたいと思っています。

jfk-world







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