
Ahu Vinapu
アフ ビナプ
島の南西部にある大きな石組みのアフ ・・
つくられたのは、15世紀頃と推測されています。

モアイはアフから落ち、土の中に埋もれています。


モアイの顔が仰向けになっているため、
『フリ モアイ (モアイ倒し戦争 ) 』 によってではなく、
1960年のチリ津波によって流されたものではないでしょうか ・・
注; 地理的には津波の影響を受けやすい場所
(12月 7日のブログ内地図参照 )

「アフ ビナプ 」 は、
他のアフとはまったく違ったかたちをしています。
(2008年 6月 14日のブログ参照 )
ー参考写真ー


ー南米ペルーのクスコー

「アフ ビナプ 」 は、クスコの石組みと酷似しています。
このことから、
南アメリカ大陸からイースター島への
民族渡来説が生まれています。
(12月 5日のブログ参照 )
その他、イースター島で見つかった
アンデスが原産地であるサツマイモの栽培形跡なども、
南アメリカ大陸からの渡来説の根拠になっています。
また、アフ ビナプは、
冬至の日に太陽の方向を向くようにつくられています。
これもまた南米 『マチュピチュ 』 などに見られる文化と類似します。
(2008年 6月 16日のブログ参照 )

Thor Heyerdahl
トール・ヘイデルダール (1914年ー2002年 )
ノルウェーの人類学者
アメリカのムロイ博士と並ぶイースター島研究の第一人者です。
(12月 7日のブログ参照 )
ヘイデルダールは、
イースター島およびポリネシア全体への
南アメリカ大陸からの移民説を唱えた学者です。
ヘイデルダールは、
南アメリカ大陸から、古代インディオの時代の原始的な船で
太平洋が渡れることを証明するために、
自ら 『Kon-Tiki コンティキ号 』 を製作し、
1947年、ペルーのカヤオ港から太平洋に乗り出しました。

ヘイデルダールは古代の船を復元したコンティキ号で、
自らを含め 6人の乗組員とともに、
ペルーからフレンチ ポリネシアの 『ツアモツ諸島 』 まで、
およそ 8000キロ・102日間の航海を成し遂げました。
1955年には研究者など23人のクルーと共に、
南アメリカ大陸からイースター島までの航海も成功させています。
この航海には、ムロイ博士も参加していました。
しかし、現在、
南アメリカ大陸からの民族移動説を支持する学者は少数派です。

ヘイデルダールの故郷 ノルウェー ・・
国立オスロ博物館には 『コンティキ号 』 が展示されています。
また、ヘイデルダールが遺した多くの写真や論文は、
2003年、UNESCO ユネスコの
『Memory of the World 世界の記憶 』 に登録されました。
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