Tahai Ceremonial Complex
タハイの儀式村
島の西部にある 3つのアフとモアイが並ぶ場所 ・・
ここは、
何か特別な儀式のための場所であったと考えられています。
Ahu Vai Ure アフ バイウレ
「タハイの儀式村 」 は、
現在のイースター島の中心 = ハンガロア村の近くです。
Ahu Tahai アフ タハイ
Ahu Ko Te Riku アフ コテリク
いずれも発掘、修復されたものですが、
アフ コテリク のモアイには、
pukao プカオと呼ばれる赤い帽子がのせられ、
マナ (霊力 ) が宿るとされる
目 (レプリカ ) が組み込まれています。
タハイの儀式村の発掘と修復には、
アメリカ人の人類学者が深く関わっています。
Dr. William Mulloy
ウィリアム・ムロイ 博士 (1917年ー1978年 )
元々は日本文化および日本語を研究していたムロイ博士は、
第 2次世界大戦以前は軍人に日本語を教えていました。
戦後の1955年頃から
イースター島の歴史に興味を持ったムロイ博士は、
亡くなる 1978年までの間に 20回以上イースター島を訪れ、
精力的に発掘調査に取り組みました。
晩年をイースター島の研究に捧げたムロイ博士 ・・
博士の希望により、
遺体はタハイの 3つのモアイが望める場所に埋葬されました。
2003年に亡くなったムロイ博士の妻もここに眠っています。
そこには、博士の功績を称える記念碑があります。
ムロイ博士のチームによって
1970年代のはじめに発掘、修復されたタハイの儀式村ですが、
多くのことは謎のままです。
そして、様々な説が投げかけられています。
たとえば、アフ バイウレのモアイは、
中央に立つ大きなモアイが
儀式村を取り仕切る 『王 (首長 ) 』 を象徴し、
左右に並ぶのはその家族である ・・ などです。
中には、科学的な事実を根拠とする説も存在します。
島に伝わる伝説では、
最初に西の方 (タヒチの方 ) からやってきた人が上陸したのは
島の北東部にある 「アナケナ ビーチ 」 ですが、
最新の放射性炭素年代測定の結果は、
ここタハイの方が
より古い時代に人が上陸していたことを示しています。
(12月 3日のブログ参照 )
最初の人が西の方から海を渡ってきたとすれば、
最初にイースター島の西海岸に漂着するはずで、
この説には合理性が見出せます。
陽が傾き、子どもたちがサッカーに興じていました。
タハイの儀式村は夕陽の絶景ポイントです。
jfk-world