JFK-World 世界の撮影・取材地トピック

Freelance Film Director
TV-CMおよびTVドキュメンタリー番組のディレクター & カメラマン

水村喜一郎美術館

2023年09月26日 | 長野

海野宿 の南、



およそ100メートル ・・・



千曲川のほとりに
桜の木に囲まれた白亜の建物 ・・・



水村喜一郎美術館



今回の旅 で、
訪れてみたかった場所のひとつです。



繊細で緻密な絵筆の運び ・・・



豊かな色彩 ・・・



作家の魂が宿る原画に向かうと、



ご本人と対峙しているような
心の高まりを覚えます。


(インターネット上より写真借用)
水村喜一郎 さん

遊びざかりの9歳のときに、
高圧線で感電し両腕を肩から失う。



不自由さを伴いながらも、
先生や友人たちの
温かい応援を受けながら、
手の代わりに口と足を使って
何事にも果敢に挑んだ。




小さい頃から画家を夢見て、
事故後すぐ口に筆をとり、
14歳の時から油絵を描き始める。


公式ウェブサイト より原文のまま。



これは、
水村さんが事故前の7歳の時に
描いた昭和天皇の絵 ・・・
モノクロの写真をもとに、
色は想像で付けたそうです。



ほとばしる才能が感じられます。



そして、これは9歳の時 ・・・
つまり、事故後初めて口で描いた絵。
水村さんは、
天賦の才能を枯らさなかった。



水村さんは東京の下町育ち。
作品には、子供の頃に見た
原風景が多く描かれています。



こちらの作品には
こんな言葉が添えられています。

映画『キューポラのある街』を
見たのは
昭和37年16才の時であった。

(中略)
若い人たちが貧しくとも
生い立ちの違いを超えて、
時にいがみ合い時に助け合って
働きながら生きてゆく物語。
自分の境遇とも重ね合わせて
励まされた。




そして、この作品には、

別れの朝が来た。
僕は普通校から養護学校へ。
親友の張学竜は
帰還船で新潟から北朝鮮へ。
中学2年の夏休みであった。
その朝、二人でいつも遊んだ
荒川の土手へ行って、
いつか又逢おうと誓った。
そしてその夜、
一気にこの『月夜の二人』を描いた。
肩を組み、助け合ってるイメージで。
あれから60年近くたったが、
今も元気でいるのかな。




作品には海野宿も ・・・



それにしても美しい!



永遠に投函することのない絵葉書です。


Cantamus
Aurora
ロンドンの少女聖歌隊。
実にきれいな曲です。

JFK-World
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2 コメント

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嬉しい♬ (アミ)
2023-09-26 07:56:57
素敵な方をご紹介いただき、嬉しいです。
もしかしたら、過日、銀座で絵を見たことあったかも…。
ご不自由なお体で、素晴らしいです!
五体満足な自分が何の才能も持ち合わせず、ただただ、無為に生きていることが恥ずかしいです。
返信する
Unknown (JFK)
2023-09-26 10:22:52
アミさん、ありがとうございます。
どの作品も渾身。
素晴らしいです。
返信する

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