1636年、天然の地形に人が手を加え、
扇形に築造された島 ・・・ 「出島 (でじま ) 」
長崎に上陸したクイーン メリー 2 のゲストは、
出島を訪れました。
鎖国政策を採った江戸時代、およそ200年間にわたり、
日本で唯一西欧に向かって開かれた窓 ・・・
物や文化がここで交流しました。
『一番船頭部屋 (いちばんせんどうべや ) 』
一番船頭部屋と呼ばれるこの建物は、
主にオランダ船の船長の住居として使われていました。
出島は、限定的な貿易だけではなく、
外国人の居住も認めらた場所でした。
当時、オランダはすでに、インドネシアのジャカルタに
貿易の中継点を持っていました。
そこから季節風に乗り、夏に長崎にやってきて、
冬になるとジャカルタに戻って行ったそうです。
オランダからは砂糖や香辛料、
日本からは銅の輸出がその頃の貿易の中心でした。
住まいはバハマ諸島だというこのアメリカ人のゲストは、
『私にとって日本は遠い遠い国でした。
アメリカが生まれるより前に、
日本はヨーロッパとつながっていたんですね。
私にはちょっと驚きです。 』
と話していました。
最近は、人々の関心が世界遺産に登録された
『軍艦島 』 に向いていますが、
日本の近代化に貢献した出島はとても興味深いところです。
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