秋田おもと高齢者大学 8月学習会 2回目
講話題 「佐竹家藩主の功績と改革について」
講師: 半田 和彦 氏
常陸では546,000石の大大名であった。=豊臣政権下では全国8位の大大名
転領時徳川氏から205,818石の朱印状をもらった時には、実質32万石にも及び秋田時代の初期の繁栄の基盤となった。
検地の工夫・・・実際より少なく測量し農民に有利に測量した。
・由利領請取り・・・総勢2,303人(騎馬207騎)
秋田藩が最上の改易(武士の身分を剥奪し領地を没収する刑)を知る。由利領請取りのため出兵の命を受ける。
(秋田市新屋は由利領であった)
・参勤時の供人数
平均500人と東北でも多かった、総人数1,022人 1,233人の時もあった。
道の駅象潟ねむの丘6階の展望室より 九十九島を望む
黄色く見える田んぼは200年ほど前、海だった。
文化元年(1804)の象潟地震で一夜にして海底が隆起し陸地となった場所
松尾芭蕉が訪れた時は海だった。
芭蕉も船に乗り小島を探索しながら、その時の様子を俳句等に表したものと思われます。
「象潟や 雨に西施が ねぶの花」
今回、はじめて道の駅おおうちへ寄った。
国道7号線から内陸に入り羽後岩谷駅の裏にある。
「ぽぽろっこ」は総合交流ターミナル
宿泊、宴会、温泉大浴場。
物産館で野菜を購入した。(空芯菜クウシンサイ)がありました!!
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