中学の時は毎学年クラス替えがあり、1学期の始業式の日に校庭の掲示板に貼り出されました。今でも当時の記憶がありますが、ハッキリ言って、
“掃き溜め”
といえるクラス編成に大いに落胆したものです。果たして中学最後の一年間を無事に過ごせるのだろうかと思いました。結果的には卒業にまで漕ぎ着けたからこそ、こうしてブログを書いている訳ですが、当時は時代に助けられたからこそだったと思っています。
これが中学1年生の時であれば前年のデータがないだけに手探り状態な面が出てしまうのは致し方ないですが、過去2年間のデータがあるのに全く考慮しなかったのは今でも大きな問題だったと思っています。
学年で問題児とされる男子数人と、視力に障害を持つ女子が同じクラスになったらどうなるか。その担任が中年の女性で且つ普段は音楽専任で今回初めて担任を持つという背景があれば如何なる展開になるかなんて簡単に想像がつくものと思います。
音楽専任ということは、音楽の授業の時にしか生徒と触れる機会がない訳です。勿論、職員室にいれば担任から生徒の情報を耳にしていたでしょうが、実際に担任を受け持たないことには本当のことなんて判らないのです。
そんな状態であれば、たとえ担任を持つにしてもクラス編成を考慮して負担を少なくする筈なのですが、いきなり問題児と障害のある生徒を同じクラスにしたのですから暴挙以外の何物でもありません。これで1年間なにもなく過ごせるなんて奇跡に近い話なんです。本来は。
ただ、冒頭でも触れましたが、結果的に誰も自殺せず、不登校者も出なかったのは時代に助けられたからこそなんです。当時(36年前)は景気もよく活気に溢れていました。社会的には校内暴力が問題化していましたが、それでも今よりは遥かに大人しいものでした。況してやインターネットというものすらありませんでしたから四六時中追いかけ回されることがなかったのです。
然し乍ら、現代に照らし合わせたら間違いなく自殺者と不登校者が続出して学級崩壊していたでしょう。担任は吊し上げを食らって辞職していたと思います。
斯く言う私も、あの当時は3学期ともなると本当に学校に行きたくありませんでした。もう進学先も決まり卒業を待つだけだからという一縷の望み(ゴール)だけが頼りでいた様なものでした。家でも両親の啀み合いに付き合わされ、学校でも如何に無事に一日を過ごせるかが第一の状態だったので、尚更行きたくなかったのです。
卒業式が終わって校門から外に出た時の感覚を今でも覚えています。やっと終わった、やっと脱出することができたという感覚を未だに覚えています。然し乍ら、僅か15年程度の人生経験しかない人間に此処まで感じさせた現実は到底許せるものではないと思っています。
因みに、このクラスの卒業文集のタイトルには何名かが、
【悲惨なクラス】
と記しています。生徒たちから悲惨と認定されてしまっていたことと同時に、それを文集のタイトルに使われても何も言わなかった学校の在り方には今でも呆れるばかりです。
彼此36年が経ちますが、私は一度も同窓会に出ていません。今後も誘われても絶対に出ません。それが私からのクラスに対する答えです。