斯く語りき

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2019-03-23 20:30:00 | 社会部

「工場の盗みは友のため」異例の判決、罰金刑に執行猶予

恐らく77歳という年齢を考えれば支払能力に乏しい故の配慮だと思います。勿論、犯罪そのものが軽微だったこともありますが、この年齢ともなれば簡単に費用を貸してくれる人もいませんし、年金生活であれば2年くらいの期間(猶予)がないと支払えないでしょう。

然し乍ら、77歳という年齢で現役の整備士をしていなければならない現実は相当に大きいと思います。推測になりますが、後継者もおらず細々と整備の仕事をしていかなければ生活がままならないのであれば、それは今後の日本を占う象徴的なものでしょう。

きちんと経済が動き、誰もが本来の価格で買い物をしていれば後継者もいたでしょうし、測定器を盗むなんて発想には至らなかったと思います。否、そもそも整備士の仕事から引退していたでしょう。

この国の行く末を左右するのは国民一人ひとりの考え方次第ですが、時と場合によっては、特に国の根幹に関わる部分については一時的にでも同じ方向にならないといけないと思います。未だにトンネルから抜け出せないのは、きちんとした国としての態度が固まらないからでしょう。

海外の殆どの国は個々の考え方には多様性があっても、国の舵取りの部分に関しては揺るがないものを持っています。日本は周囲を海で囲まれていますが、大陸に位置する国々は根幹の揺らぎが周辺国や他国からの侵略に晒されることを歴史で学んでいるので揺るがないものを持っていると思うのです。そして、それが現代に於ける『世界のスタンダード』だと思うのです。

ところが日本は簡単に他国から攻め込まれない環境下にあるだけに、そうしたスタンダードを学べないのです。或る意味では幸せなことかもしれませんが、世界の中で存在していく上に於いては致命的なものだと思うのです。兎に角、スタンダードを理解した上で世界を見つめないことには、どうして未だにイザコザが繰り広げられているのかさえ解らないと思うのです。

故・笹川良一氏の【世界は一家、人類は皆兄弟】という言葉が昭和の時代に流行りましたが、そもそも兄弟は他人の始まりであり、況してや言葉も文化も違う国同士が一言二言で素直に纏まる筈がないんです。常にイザコザがあっても不思議ではないんです。

いずれ近い将来、日本もイザコザの多い国へと成り下がるでしょう。そして「平和だ」という言葉を言い切れる国は皆無になるでしょうね。平和になる為に常に努力する国は存在しても、言い切れる国なんて端からある訳がないんです。時代時代の環境下なんて、その時の国民の胸三寸次第で幾らでも変えられるんですから