リビアのカダフィー大佐(ムアンマル・アル=カッザーフィー)が自国の内戦で反政府側に殺害されてから今年の10月で9年になります。また、同じく反政府側に捕らえられ裁判で即時処刑(射殺)が決まったルーマニアのニコラエ・チャウシェスク大統領が亡くなってから今年のクリスマスで31年になります。
共に独裁政権を長期間に渡り維持し、その間に国民を地獄の様な状態に追い込み苦しめてきましたが、時代と共に民衆の鬱憤が溜まり続け、自身の高齢化による身体的・精神的な余裕もなくなってきたところに内戦や革命が起きて崩壊を招きました。
世界では指導者も度が過ぎれば呆気なく崩壊するものなんだということを当時のニュースや映像で見てきましたが、まさか日本が独裁という状況に追い込まれつつあるとは夢にも思いませんでした。
恐らく当事国の人たちも、まさかここまで独裁が続くとは夢にも思わなかったでしょう。然し乍ら、ちょっとした気の緩みが政権に甘えを許し、それによって長期的な地獄を見ることになったのですから、やはり政治は常に適度な緊張感がないと駄目なんです。
さて、その独裁政権を倒す切っ掛けとなった理由は多々あると思うのですが、私が思うに、まず間違いなく自国民でない誰かが焚き付けたのではないでしょうか。
勿論、自国民だって大いに憤慨していたのは間違いありませんが、それでも何処まで打倒が可能なのか判りません。失敗すれば反政府側には死が待ち受けている訳ですから二の足を踏んでいたとしても不思議ではないと思うのです。
そんな煮え切らない態度に対して隣国や周辺国から、
『お前らがやらなくて誰がやるんだ? さんざん地獄を見てきたんだろう? ここで倒さなきゃ未来永劫に自由はないぞ。そして俺たちが逆にお前らの国を乗っ取るからな!』
と焚き付けられたと思うのです。
世界の歴史を紐解けば、大陸の中にある国々では乗っ取りや奪還が繰り返し行われてきています。ちょっとでも気を許せば相手国が容赦なく乗っ取ってくる訳です。そして乗っ取られた先にあるものは不自由と地獄です。だからこそ先祖代々受け継がれてきた祖国を相手に踏み躙られて恥ずかしくないのかという意識が常にあると思うのです。
そもそも近隣国であれば言葉や文化に違いはあっても風貌に大きな変化はありませんから、その中から焚き付ける人間が出てきても目立ちません。そして少しずつ打倒や革命に対する意識が高まって大きなうねりへと繋がったと思います。
翻って日本に目を移すと、御存知の様に日本は周囲を海に囲まれているだけに誰かが焚き付けにやってくることが期待できません。これが大いなる不幸ですし、自国民が蜂起しなければ永遠に不自由と地獄を見る羽目になります。否、もう見始めているんです。
これ以上の独裁を許すのか、それとも何らかの手を用いてでもクーデターや革命を起こすのか、国連が手を差し伸べてくれるのを待つのか、その瀬戸際に立たされています😞 。