令和6年能登半島地震でお亡くなりになられた方々に、謹んでお悔やみを申し上げます。また、被災された方々にお見舞いを申し上げます。1日も早い安全と日常への復興を心よりお祈りしております。
長野県民にはおなじみの「ビタミンちくわ」。
戦後の1952年、国民の食生活でビタミン不足が問題になり始めたころにサメから取れる肝油に豊富なビタミンが含まれていることから、ビタミン不足を補うものになればと、スギヨは竹輪にサメの肝油を入れて製造することを考案。
新商品名として「能登特産ビタミン竹輪」と命名。これが大ヒット製品になり、売上も飛躍的に向上。
その後、名前の「竹輪」を「ちくわ」に変え、北陸地域から全国へ販売を拡げていった。
新商品名として「能登特産ビタミン竹輪」と命名。これが大ヒット製品になり、売上も飛躍的に向上。
その後、名前の「竹輪」を「ちくわ」に変え、北陸地域から全国へ販売を拡げていった。
そんななか、ちくわが一番売れていたのが長野県。長野県は海に面していない海なし県。当時は輸送技術が発達していなかったため、ちくわのなかに塩を入れ、木箱に包装し日持ちするようにしていた。長野県では「ちくわと言えばスギヨ」と言われるほどに広く浸透。
スギヨは石川県七尾市に本社や工場があります。
現在、工場は復旧のめどが立ってなく、道路などの寸断で「在庫の出荷も遅延が起こる状況」とのことです。
長野県内のスーパーなどでは、かまぼこなどの練り物の入荷がすべてストップ。入荷のめどは立っていないとのこと。
一方でスギヨは工場の敷地を給水所として開放し、被災された方々に地下水を無料提供。自社製品も無料で配っているそうです。
一方でスギヨは工場の敷地を給水所として開放し、被災された方々に地下水を無料提供。自社製品も無料で配っているそうです。
スギヨからのメッセージ(原文まま)
1月1日、能登で大きな地震が起こりました。
石川県七尾市の工場は天井が落ちたり、壁が剝がれたり、機械が壊れたり、水やトイレが使えなかったりしています。
いつも長野の皆さんに食べていただいている、ビタミンちくわも作れなくなりました。
もう一度作れるようになるために、どれくらいの時間がかかるか分かりません。
ですが、70年以上続くビタミンちくわの歴史を途絶えさせないように、これからも皆さんと一緒にビタちく文化をつないでいけるように、必ず復旧させます。
お待たせすることになり大変心苦しいのですが、もう一度、長野県の皆さんの元にビタミンちくわをお届けする!という使命感で、社員全員で復旧作業に取り組みます。
それまでどうかビタミンちくわのことを忘れず、お待ちいただけたらうれしいです。
スギヨは革命的とも言える「カニカマ」を発明し、世界に影響を与えた企業。
過去にはこんなコラボ商品「ちくわたい焼 ツナマヨ入り / 焼きたて屋(株式会社かめや) - 野球小僧 (goo.ne.jp) 」もありました。
世の中の食文化に貢献し、社会の発展に寄与するという精神が、いつまでも大切に受け継がれています。
ビタミンちくわがスーパーなどで見かけられるようになったとき。その復興の一幕となる日をいつまでも待っています。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。