皆さん、こんばんは。
9月21日、木曜日。曇り時々雨。
北アルプスの不帰キレットで遭難した男性が、8日振りに救出されたとのニュースがありました。
何故あそこで道に迷ったのかは不明ですが、十分な装備があり、水場を確保して下手に動かなかったことが救出に繋がったのだと思います。
NHK WEB NEWSより
警察庁に依れば、今年7~8月の2ヶ月間に全国で発生した山岳遭難は738件、遭難した人は809人で、件数、人数ともに統計を取り始めた昭和43年以降で最多となったそうです。
コロナ禍での屋外レジャーとして登山人気が高まったことが要因と考えられるそうで、奥多摩でも、スマホナビだけで山に入る軽装登山者を見掛ける事が多くなりました。
山を舐めずに、十分な計画性と装備を備えて山を楽しんで欲しいものです。
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あおよこ三山
先週、旧東海道品川宿の名残を留める青物横丁、通称「あおよこ」周辺を歩いた時の余禄です。
「あおよこ三山」は、山は山でもお寺の山号ですので、遭難の心配はありません!😆
(私が勝手に三山と呼ばせて頂きました。)
9月14日、朝7時、
京急 青物横丁駅からスタート~♪
駅前の「ジュネーブ平和通り」
今から訪ねる品川寺に由縁があります。
旧東海道をトコトコ、、、🚶
この辺りはかつての品川宿の南端に当たります。
江戸幕府御用宿 釜屋跡
幕末期、新選組の品川屯所にも使われたそうですが、現在は一枚の案内版があるだけです。
道沿いの大きな地蔵像が品川寺の目印です。
海照山 品川寺(ほんせんじ)
弘法大師の開山とも伝わる真言宗醍醐派の別格本山で、江戸三十三箇所観音霊場の第31番。
銅造地蔵菩薩坐像
江戸時代中期に江戸の6つの街道口に造立された「江戸六地蔵」の一番です。
大銀杏
幹周5.35m、推定樹齢600年とありました。
洋行帰りの鐘
慶応3年(1867)、パリ万国博覧会出品後に行方不明となっていたものが、後にスイス・ジュネーヴで発見され、60余年を経て昭和5年(1930)に里帰りを果たしたという梵鐘です。
このご縁でジュネーブと品川区は友好都市となり、青物横丁の駅前通りが「ジュネーブ平和通り」と名付けられたそうです。
品川寺の先に海雲寺の山門がありました。
龍吟山 海雲寺
元は海晏寺の数ある塔頭の一つであったと伝えられ、千躰荒神を祀る寺として知られます。
こちらにも立派な鐘楼がありました。
本堂の天井絵
力石
大正の頃まで、近郊の若者たちがこれで力比べをしていたそうです。
平蔵地蔵
江戸の末期、鈴ケ森処刑場で番人をしていた乞食の中に平蔵と言う者がおり、ある日、道で拾った大金を、落とし主が探しに来るのを待って無事に返したところ、それを知った仲間の乞食から何故山分けにしなかったのかと殴打され、小屋を追い出されて凍死してしまいました。
これを聞いた落し主が手厚く葬り、地蔵尊を立て供養しました。
(品川区立図書館しながわの昔ばなしより要約)
襤褸は着てても心は錦、ですね。。。
更に南に進むと海晏寺の道標がありました。
右の石標に「鮫洲正観世音菩薩道場海晏寺」、
左の石標には「贈太政大臣岩倉公御墓参拝道」と刻まれています。
第一京浜を渡ってその海晏寺に向かいました。
補陀落山 海晏寺(かいあんじ)
建長3年(1251)、鎌倉5代執権北条時頼の開基により、大覚禅師が開山した伝わる古刹。
本尊の観音像は、品川沖でかかった鮫の腹から出た物と伝えられ、一帯の「鮫洲」という地名の由来ともなっている。(ウィキペディア要約)
こちらに、岩倉具視と松平春嶽公の墓所があるとの事で、本堂裏の台地に上がってみましたが、、、
それと思われる墓所は厳重に仕切られていて、お参りは叶いませんでした。
8時06分の空。
この後、気温がグングンと上がる中、汗を拭き拭き、ジュネーブ平和通りに戻りました。。。
旧東海道品川宿の面影と共に、平安、鎌倉時代からの古刹が佇むあおよこ界隈。
これからも、その面影を長く繋げて貰いたいものです。
本日もご訪問頂きまして有難うございました。