皆さん、こんばんは。
2024年3月28日、木曜日。 曇り。
年度末もいよいよ押し迫まってきました。
もう、一年の1/4が終わりですね、、、😅
今夜は関係部署の送別会、、、
明日は事務所の席替えです。
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大分時間が経ってしまいましたが、
先々週の伊香保旅行の余録です。
八ッ場ダムから伊香保に向かう途中、
吾妻の「かるた館」に寄り道しました。
群馬県の郷土かるた「上毛かるた」の情報発信拠点です。
かるた館
土・日のみの開館で入場料は無料です。
この時のお客は我々だけでした。
駐車場にかるたのパネルが並んでいます!
館内には、上毛かるたの絵札と読み札のパネルがずらりと展示されていました。
ところで皆さんは子供の頃、どんなかるたで遊びましたか?
百人一首?、いろはかるた?
それとも、故郷の郷土かるたがありましたでしょうか???
上州群馬の県民、出身者にとって、かるたと言えば上毛かるた!😊
全ての県民が上毛かるたと共に育ったといっても過言ではありません!
上毛(じょうもう)かるた
古く「上毛」と呼ばれた群馬県の歴史、自然、人物、産業などを読んだ郷土かるた。 全44札。
つ、「鶴舞う形の群馬県」
上毛かるたは、終戦後満洲から引き揚げ、戦災者の支援に取り組んでいた浦野匡彦(のちの二松學舍大学学長)の奔走により誕生しました。
GHQの指令で学校での地理・歴史の授業が停止される中、子供たちに愛すべき故郷の歴史、文化を伝えたいと考えた浦野は、安中出身の須田某なる人物から「かるたを通じて郷土の歴史、文化を伝える」ことを提案されると早速『上毛新聞』紙上で構想を発表し、県内各方面から題材を募り、郷土史家や文化人らの協力を得て昭和22年12月に初版発行に漕ぎ着け、翌年には第1回の競技大会が開催されたそうです。
(ウィキペディアより抜粋・要約)
浦野匡彦(1910-1986)
群馬県吾妻郡出身、
元二松學舍大学学長・日本遺族会副会長。
二松學舍大学HPより
ら、「雷と空風義理人情」
群馬をぎゅっと凝縮するとこうなります。
かるた館の展示で、今の絵札が三代目だということを初めて知りました!
昭和22年の初版(左)と、
昭和40年頃の改定版の絵札(右)
最初は随分と素朴だったようです、、、
上毛かるたあるある
極めてローカルですが、、、
群馬県民ならではのあるあるを3つ。
㈠ えっ、、、無いの ⁉️
子供の頃は当然、都道府県毎にご当地かるたがあるものと思っていましたが、、、
隣の栃木県の高校に越境入学した際、「そんなものはない」と言われて愕然としたのを覚えています。😅
㈡ よ、「世のちりあらう四万温泉」
当時の小学校の男子児童にとっては衝撃的な図案の絵札でした!
かるたの時には、何を置いてもこの札の奪取に専念したものです!😆
㈢ ち、「力合わせる○○○万」
群馬県の人口が10万単位で読み込まれる札で、「私の時は○○万だった」、「今は何万になったのかね?」というのが県民の挨拶代わりです。
因みに、、、
私の記憶では「力合わせる百六十万」でしたが、その後73年に百七十万、77年に百八十万、85年に百九十万となり、1993年に二百万となったそうです。
残念ながら近年の人口減少を受け、今年から百九十万に改定されたのだとか。。。
かるた館に寄り道して、改めて上毛かるたを知るきっかけとなりました。😊
かるたを模したお菓子をお土産に買って、、、
この後、、、
す、「裾野は長し赤城山」
を眺めながら渋川に出て、
い、「伊香保温泉日本の名湯」
に泊り、翌日は、
ゆ、「縁は古し貫前神社」と、
に、「日本で最初の富岡製紙」
に立ち寄って、
ふ、「分福茶釜の茂林寺」
のある館林に戻りました♪
因みに、全国には千数百もの郷土かるたがあるそうです。
皆さんの故郷にもありますか??😊
群馬大学関連HPより☟
本日もご訪問頂きまして有難うございました。
明日は仕事でバタバタしそうですので、土日と合わせてブログは3連休致します。
皆さま、素敵な週末をお過ごしください。😊