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東京海洋大学と明治丸
先週金曜日に越中島を歩いている途中、歴史めいた建物を見掛けて立ち寄ってみると、東京海洋大学のキャンパスでした。
調べてみると興味深い事が沢山分かりましたので、トコトコ散歩の余禄として掲載いたします。
説明が少々長くなりますがご容赦を、、、
清澄通りの左手に気になる建物が見えたので、横断歩道橋を渡って寄り道して見ました。
ん、何だこれは???
どうやら大学のキャンパスの様です。
正門が開いていたので見学させて頂きました。
東京海洋大学
(Tokyo University of Marine Science and Technology)
東京都港区に本部を置く国立大学。
共に明治からの歴史を持つ東京商船大学と東京水産大学が統合し、2003年(平成15年)10月に開学。
越中島キャンパスには海洋工学部が置かれている。
因みに海洋工学部(旧東京商船大学)の前身の三菱商船学校の設立は1875年(明治8年)で、当時、陸軍士官学校、海軍兵学校と並び称されるエリート校だったとか。
海洋科学部(旧東京水産大学)の前身の大日本水産会水産伝習所は1888年(明治21年)の設立だそうです。
第一観測台
赤道儀室と呼ばれ、内部には当時東洋一と言われた天体望遠鏡を備えていたそうです。
因みに2枚前の写真は第二観測台で、子午線観測用の望遠鏡を備えていたとのこと。
共に明治36年の建設で、国の登録有形文化財。
校舎の中をちょっと覗いてみました。。。
独特の雰囲気。。。
そこはかとなく明治の香りが、、、
校舎の南の広場には、なんと帆船が係留(?!)されていました!
明治丸と記されています。
明治丸
(以下、ウィキペディアからの要約です)
灯台巡視船として日本政府がイギリスに発注し、天皇の乗る御召し船や練習船としても使用された。
英国グラスゴーの造船所で1874年(明治7年)9月26日に進水し、同年11月24日に竣工、翌1875年2月20日に横浜港に到着し、灯台巡視船の任に就いた。
小笠原諸島領有の立役者
日本に回航された直後の1876年にはイギリスとの間で小笠原諸島の領有問題が生じたため、11月21日、日本政府調査団を乗せて横浜港を出航し24日に父島に入港した。新鋭船で船足が速く、22日に同じく横浜を出航した英国軍艦「カーリュー」より2日早く着いて調査を先行したため、日本の小笠原諸島領有の基礎を固めることができたとされている。
海の日制定のきっかけ
御召し船としても用いられ、1876年には明治天皇の北海道・東北地方への巡幸に供され、7月20日に横浜に無事帰港した事を記念し、後にこの日が『海の記念日』(現在の海の日)に制定された。
1897年(明治30年)に商船学校(現・東京海洋大学)に委譲された後は練習船として活躍。
また、関東大震災や東京大空襲の際には数千人の罹災者を収容したそうです。
1954年に老朽化のため練習船の任務を解除された後も1975年頃までは結索実習などに船内が使われ、1978年(昭和53年)に、船として初めて国の重要文化財に指定されました。
日中であれば中も見学できるようです。
トコトコ散歩の途中で偶然に出逢った歴史ある大学と明治丸。
思わぬ掘り出し物を見つけた気分です♪
その後、相生橋を渡って月島に向かいました。
さてさて、
次の掘り出し物は何でしょう~😄
本日もご訪問頂きまして有難うございました。